めおと舟 その7『引っ越しまでのディスタンス』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。当初はビギナーズラックで順調に勝っていた夫婦だったが、夫は『テレボート』加入を機になぜか的中率が低下。しかも初心者にありがちな『トリガミ病』まで発症。妻は順調に勝率を伸ばしているようだが──。

頂いた条件でオススメとなると、この辺ですねぇ……。

8月某日。休日の昼下がりだ。我々は浅草の賃貸不動産屋にいた。応対してくれたスタッフは時代遅れの丸メガネを掛けていて少し神経質そうな印象だったけど、話してみるとジョークも通じる気さくな男だった。事前に夫婦で話し合った希望の条件を伝えると、丸メガネは業務端末を操作して冒頭の言葉を枕にするや、プリントアウトしたA4用紙を幾つか並べた。

「三ノ輪……。ですか」
「そうですね。三ノ輪になります。頂いた条件でペット可となると──」
「やっぱそうか……」
「三ノ輪は最近は再開発も進んでいて生活もしやすいですし、人気の地域です。ご夫婦であれば育児の環境が気になる所かもしれませんが、この辺りは近くに保育園もたくさんありますし──」

思わず夫婦で顔を見合わせた。始終この調子である。また三ノ輪。どこに行っても三ノ輪になる。別に三ノ輪が悪いんじゃない。いい所だ。それは知ってる。そうじゃなくて、問題は『第一条件に浅草を指定しているのになぜどいつもこいつも三ノ輪を勧めるのだ』という部分だ。

内見に行くかどうか聞いてくる丸メガネの申し出を丁重に断りながら、店を出た。

「さてはアレだな。三ノ輪から金貰ってんだな不動産屋。そんなに人口を増やして何を企んでるんだ三ノ輪は。ははぁん。さては台東区から独立するつもりだな」
「何の為に独立するのよ……。はぁ。どうする? もう一軒行く? 不動産屋さん」
「うーん。どうせ同じ物件しか出てこないだろなぁ……。もういいや。メシいこうぜ」

街路樹沿いを並んで歩き始めると蝉の声がした。国道のアスファルトからはむせるような濃い夏の匂い。もしかしたら夕立が来るかもしれない。

妻は日傘を差しながら口を開いた。

「ちょっと家賃の予算上げる?」
「いやーもうギリギリだぜ……? これ以上となるとキツイものがあるなぁ」
「じゃあ、築年数か広さの見直し……?」
「どっちも大切さ。40平方メートル以上で2LDK。あとはペット可で鉄筋コンクリート。オートロックも絶対欲しい。そして虫キライだから高層階。あとau光の設備がないとヤダ。近くにコンビニとオシャレなカフェも。あ、カウンター付きのキッチンもいいな」
「ひろしOLかよぉ……」

引っ越し。

そもそもオイラは引っ越しが好きだ。過去、それは趣味だったと言っても良い。酷い時期は2年に一回くらい引っ越していた。理由は簡単で、同じ所に住んでたら飽きるからだ。今の部屋に越してきてからはナシ崩し的にダラダラと居座っているけども、考えても見れば同じ部屋に6年以上住むのは久々である。

「だから、あんまり妥協したくないのさ。折角長く住んだ所を離れるわけだし」
「分からないでもないけど……。そんな事言ってたらずっと越せないよぅ。ちゃんと考えようよぅ」
「分かってる。分かってるさ──」

あと数ヶ月で夫婦生活は三年目に突入する。だのに未だ、二人してワンルームで生活しているのだ。しかも猫までいる。これは異常事態である。手狭にも程がある。生活に支障が出つつあるレベルでだ。居を移すのは最適解なのだけど、引っ越す引っ越すと言い始めて既に何年経ったか分からない。それはオイラが単純に貧乏だからというのも大きいけど、物件を決める事が出来ないというのも決定的な理由の一つになっている。悩んだりあぐねたりしてるうち、最終的には面倒臭くなってシーズンを一つ跨ぐ。これはもう毎度の事である。

近所の有名定食屋。少し遅い昼食を取りながら、一杯だけビールを飲む。妻は日本酒を頼んでいた。

「ひろし、結婚は超速で決めたのに、何で引っ越しは決められないのかねぇ」
「違うんだよ。ピンと来たのがあったら速攻で決めるんだけどさぁ。だいたいなぁ、次は今の部屋よりももっと長く住む事になるんだぜ。慎に重をかさねてだなァ……」
「ニャンチコの時も即決だったじゃん。私が選んでさ……。ひろしは最初ホワッツマイケルみたいなガラのニャンチコ選んでたけど、わたしがピノコを抱っこして、この子にしようって──」

ニャンチコとは、猫という意味の単語だ。犬はワンチコ。ハムスターはハムチコ。そして赤ちゃんは赤んぼチコである。可愛いものにはチコを付ける。ただそれだけのシンプルな、夫婦間のスラングである。

「ああ。あったね……」
「三分だけ悩ませてって言って、外にタバコを吸いに行ってさ。戻ってきたら、『わかった。そのニャンチコにしよう』って。だからひろしは本来あんまり悩むタイプじゃないのよ。即決するのよ何事も。その例に倣って部屋も即決しちゃえばいいのに」
「いやー……。そうは申されましても……」

食事をしつつ、酒を飲み。話し合う。解決の糸口は見えない。平行線だ。必定、お互い無言になって食事に集中する。ややあって妻が何かに気づいたように、スマホに目を落とした。

「ボート?」
「うん」
「今日はどこのレースだい」
「ルーキーシリーズだよ。徳山の11R」

「はる、何買ってるんだい?」
「4-1の2連単に200円」
「4-1……。椎名選手か。あー、来そうだな」
「でしょ。最近のイチオシなんだ。椎名選手」
「ああ、結構涼しげな顔してるなぁ。イケメンだ」
「椎名選手はねぇ、顔面で選んだんじゃくて、名前で選んだの」
「名前?」
「椎名豊選手でしょう。だから『勝ってほ椎名、豊かになりたい』で。フルネーム覚えやすくない?」
「それ誰が言ってたの……?」
「グランジの大さん」(※グランジの大さんについてはめおと舟 その1をどうぞ)
「グランジの大さん好きだな!」
「へへ。でもまぁ、これは普通に考えても4-1よね」
「4-6もいいんじゃないか?」
「そう。4-6もちょっと考えたんだけど、キリがないからさぁ。4-1の200円で。ああでも4-1-6も買っとこうかな……。投票まだ間に合うかな……」
「行ったれ行ったれ。大将、ビールもう一杯!」
「ひろしも買う?」
「いやオイラはいいや。じっくり考えて買いたい」
「じっくり、ねぇ……。わかった」

結果。

「やった。的中したぁ!」
「すわ、すげえ。普通に当てやがった……」
「へへ。最近調子いいんだ」
「やるなぁはる」
「難しく考えすぎなのよひろし。部屋と一緒よ」
「そうなのかな……」
「結婚も、ピノコも、即決だったじゃん。それで失敗してないでしょ?」
「してないね……」
「じゃあ、ボートもそうすればいいじゃない?」
「あんまり悩まずに買う……か」
「そう。直感と。印象と──あと何か分からないけど。ズバッとね。買っちゃえばいいんですよ」

勝率。そして払戻金額。さらにはボートレースへの理解。……この時点でオイラは、すっかり嫁に抜かれていた。

「どうしてこうなった……」
「……なにが?」
「いや、なんでも無い。大丈夫──」

このままでは、夫としての沽券に関わる。「勝ったから」という理由でポークソテー定食と生ビールの代金を妻に奢って貰いながら、オイラはちょっとした目眩を覚えていた。お金の問題。引っ越し。それらももちろんあるけれど、もっと重大な問題としてオイラは「ギャンブラー」として、最低でも妻には良いところを見せないといけないんじゃないか。

なんせ妻はボートレース以前に麻雀はおろかパチンコも、パチスロも、その他の競技や遊技を一切やったことがない、ずぶのギャンブル素人なのだから。その妻に負けるというのはつまり──。

ポークソテーを食みながら、汗に濡れたTシャツが、背中に張り付くのを感じた。

 

 

【本日の結果】
スカパー!JLCカップ徳山ルーキーシリーズ第12戦2日目11R

(妻)
4-1-6  100円  的中  1,530円
4-1      200円  的中  1,280円

購入 300円
払戻 2,810円

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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