めおと舟 その9『妖怪肘なめり』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。当初はビギナーズラックで順調に勝っていた夫婦だったがその後夫だけ的中率が低下。いよいよ勝率で妻に負け始めた頃、ようやく当てに行くための買い方を学び始めるのだが──。

2017年2月22日。現在の妻と付き合い始めてから約4ヶ月後の事である。我々は連れ立って千葉県某市に居た。工場地帯のど真ん中。土砂の一時保管所や国有林、それにトラックの駐車場が雑然と並ぶ寂しい場所に、目的の場所はあった。保健所で死を待つ犬猫を一時的に保護し、健康管理と里親探しを並行して行うNPO団体の施設。いわゆるシェルターだ。場所がうらぶれた雰囲気だっただけに鼻白みながら敷地のチャイムを押すと、中から20代後半の女性が、猫のアップリケが縫い付けられたエプロン姿で応対に出てくれた。

「2時から予約しているあしのと申します……」
「お待ちしておりました! どうぞ──!」

脱走防止のためか。あるいは防疫上の理由があるのか知らないけど、二重に施錠された風防室付きの門を潜り、アップリケに続いて奥へと向かう。土と餌と、濃い動物の匂いがした。左手には動物園でよく見る大型の檻が4つ。それぞれに多種多様な種類の成犬が4~5頭ずつ入れられており、我々の姿を見るなりしっぽを振って切なそうな鳴き声を上げる。

「うわ……犬も居るんだ……」

独り言のようにつぶやいた言葉に、はるが答えた。

「そう。犬も居るのよ。でも、犬はあんまり貰い手が居ないんだって」
「まあ……。そうだよなぁ」

千葉とは言え都心にまだ全然近い場所だ。こういう施設の利用者は一戸建てより集合住宅が基本だろう。小型犬ならいざ知らず、ある程度の大きさの犬になると飼うのは厳しいと思う。まだ見ぬ飼い主を心待ちにする中型犬たちを横目で見やりながら、我々は案内の女性に促されるまま、受付用のバラックに入室した。

正直オイラは、この時点で結構帰りたくなっていた。

そりゃ、猫は飼いたい。そして飼うなら保護猫がいい。たぶん人間に冷たくされて凹んでいるであろう子を引き取って、激アマに甘やかしながらその生涯を見守る。これはオイラとはるで話し合って決めたことだ。だけど保護シェルターの雰囲気は、圧倒的なリアリティをもって「動物を保護する事」の現実をオイラの胸に鋭く突きつけてきた。ちょっと怖かった。

「まずはコチラの薬を使って、手を消毒してください」

だけど、バラックの中には、別の世界が広がっていた。犬や猫を模したファンシーグッズ。キレイに整頓され陳列された犬や猫の餌。リード。何に使うか良くわからない道具や、それにおむつや玩具もあった。壁一面には犬猫を抱いて微笑むたくさんの人々の写真。思わず見ハマる。

「あぁ、それは今までの歴代の里親さんたちの写真です。あしのさんたちも、もしかしたらここに飾られる事になるかも知れませんね」

細かい注意が幾つか告げられたあと、部屋に直接穿たれた通路を通り、隣の部屋へと通された。四畳半ほどのバラックが複数繋げられた構造になっていて、通路には必ず鍵付きのゲートがあった。言わずもがな。脱走防止のためのシステムだ。ここから先が「猫の部屋」である。

「うわぁ! すごい! 子猫だらけだ!」
「きゃぁ! めっちゃ可愛い! 何この子たち!」

天国が広がっていた。バスケットケースほどの大きさのケージが壁一面に据え付けられ、その中に2~3頭の子猫が入れられている。闖入者の顔を不思議そうに眺める茶トラ。シャーシャーと小さな威嚇音をあげる黒猫。全く意に介さずに寝ているキジトラもいる。オイラは彼らを一通り眺めて、やがてひとつのケージの前で立ち止まった。事前にホームページでチェックした茶トラ。よかった。まだ誰にも貰われていない。

「この子、抱っこしていいですか?」
「はい。勿論です。ちょっとお待ちくださいね──」

係の女性がケージから猫を取り上げ、まずははるに渡す。おっかなびっくり、といった様子で、茶トラが身を固くしているのが分かった。それでもはるは目を細めて、その小さな後頭部を手のひらで撫でながら抱っこしていた。

「ああ──。可愛い……」
「次、オイラも抱っこさせて」
「うん。大丈夫? 抱っこできる?」
「出来る。と思う──」

オイラが最後に猫と暮らしたのはもう20年近く前になる。それからもずっと猫は好きなのだけど、抱っこはご無沙汰だ。引っかかれたらどうしよう。と一瞬心配するも、渡された茶トラはめっぽう大人しく、されるがままに身を固くするだけだった。

「ああ、いいなぁ。ねぇはる。もうこの子でいいんじゃないか?」
「そうねぇ……。あ、すいませんスタッフさん。あの子──何ですか?」

茶トラを抱っこしたまま、はるが指差した方向を見ると、一番端っこのケージで恨めしそうにこっちを眺めるキジトラっぽいミックスが居た。奇妙だったのは、その子のケージだけが他の子と離して設置されていた事と、そして他のケージと違って、その子だけが独居だったことだ。

「ああ、この子はねぇ、ちょっと他の子がキライみたいで離してるんですよ。あと、よくお腹を壊しますし、それにちょっと骨に奇形があって、飼うのはもしかしたら大変かも知れません」

ああ、哀れな子だなぁと、最初は思った。何となく一歩近づいて、その目を覗き込む。キョトンとした目つき。やがてその子はのっそりと立ち上がり、ケージの網に手を掛けるようにして後ろ足で立ち上がった。隙間から前足を伸ばす。恐る恐るその肉球を突くと、小さな爪がパーの形でニョっと伸びるのが見えた。

「何この子……。見た目めちゃめちゃ可愛い……!」

はるが驚いたように声を上げる。たしかに。見た目は抜群だった。だが、下痢する猫はちょっと嫌だ。あと奇形という単語も気になる。もし寿命に関わるものだったら、すぐにお別れがくるかも知れない。先にはるに耳打ちしとこうと意を決した瞬間、タッチの差で彼女が口を開いていた。

「この子、抱っこしてみてもいいですか──……」

**********

残暑厳しい9月6日。時刻は三時半。ひと仕事を終えたオイラは、椅子の上で伸びを作っていた。膝がぬくい。猫が居るからだ。名前をピノコという。

「お前、重くなったなぁ……」

耳の付け根辺りを撫でくり回しながら、脇の下に手を入れて持ち上げると、手のひらに堅い感触が返ってくる。胸骨がちょっと出っ張っているのだ。コレがいわゆる「奇形」らしい。たったこれだけだ。お腹の調子も最初の3日で良くなった。以来、よっぽどじゃないと下痢はしない。もうこの子が来て3年目になる。

「ちょっと体重測ってみる? ピノ」
「…………」
「ん? レディーに体重の話をするのはご法度だって? へへ。そいつは失敬」
「…………」
「オイラねぇ、仕事が終わったからねぇ。ボートレースしようと思うんだ。ピノコも一緒にやろうか」

そっと抱き寄せて胸の辺りに頬をあてる。耳の中にお腹の毛が入ってくすぐったい。キュルルキュルルと、小さな呼吸音が聞こえた。

「お。いいねぇ。やる気じゃないかピノコォ。じゃあねぇ、今日はねぇ。オイラ女子レースやっちゃうぞ! 平和島。マクール杯だって。一緒に観よう。ピノコの夢はボートレーサーです。言ってみな。ピノコの夢はぁ……」

(ひろし、何してる?)
(もちろん仕事してる)
(締め切り間に合いそう?)
(余裕!)
(そっか! 良かった。今晩野菜鍋でいい?)
(もちろん! イエーイ!)
(へへ!)

「番組表見てみようねぇピノコ──」
「…………」

「これ簡単だよねぇピノコ! オイラ知ってるもん。B2選手は三連に絡まないもんね。これもう鉄則。しかもB2選手居ると外枠の選手は強気でマクッていくからズバリ、蜂須選手じゃんねえこれ。分かるかなぁピノコ」
「…………」
「何ピノコォ。肘なめてくれるのー? 肘なめてくれるのー? 可愛いねぇ。ありがとうねぇ! あとねぇ、実力では渡邉選手がブッちぎってるから、3枠も行っといた方が良いねぇ。ズバリ6-3。抑えで3-6。ここから流そうねぇ。あ、草食べる? ピノコ。草食べる? ちょっと待ってね……。ホラ、草だよ。あー! 食べるねぇ! もしゃもしゃ食べるねぇ! えへへ! ああピノコ可愛いよぉピノコ」

猫と戯れながらのボートレース。仕事終わりの変なテンションと相俟って、この時のオイラはどうかしていた。蜂須選手。そして渡邉選手。キモはこの2人。確実にオイラはそう予想しながら展開を読んでいた。ツイッターにもエビデンスが残っている。

 

蜂須選手が差す。6-3なんだよ買うなら。正直オイラ6-3だって思ってたんだよ。平和島だし。(平和島は6枠が来やすいのです)でも猫抱っこした状態で仕事明けのテンションで笑いながらツイートして、そしてその間違ったツイートみながら投票したから3-6買ってるんだよ。もし6-3で絞ってたら5枠も蜂須選手についていくと判断して、6-3-5がめちゃめちゃ見えてくるんだよね。後から記憶をトレースしてみると絶対そう判断した筈なんだけど、つまりオイラ、ツイートの時点で3枠と6枠を間違ってるのですよコレ。

で、結果がコレ。

「ぐはぁぁぁ何で買ってねぇんだよ! コレ! バカかオイラ! めっちゃ見えてたじゃんか! てかビタで当ててたよ普通に! ギニャァァしかもこれ万舟じゃねぇか!」
「…………」
「フングォォォォ! あーこれもうピノコのせいだ。あーもうこれピノコが肘なめるからだコレ。あーあー。どうしようねぇピノコ。折檻だコレ! お顔マッサージの刑だわコレ! はいフニフニフニ」
「…………」

顔面をマッサージされながら気持ちよさそうに眠りに就くピノコの目くそを取って上げながら、オイラは2年前の事を思い出していた。

 

**********

──この子、抱っこしてみてもいいですか。

ケージから取り上げられ、妻の胸に収まるピノコ。抱っこした瞬間、彼女は驚いたような表情を作った。ねぇひろし、この子凄いかも。しっくりくる──。ニャァニャァと、部屋の至る所から声がする。お腹の弱い、ちょっとだけお胸の骨が出っ張ったその猫は、アンモナイトみたいに丸くなった形で、はるの胸の中で目を細め、その肘のあたりをぺろりと舐めた。

──ひろし、この子にしよう。わたしこの子がいい!

 

【本日の結果】
マクール杯ヴィーナスシリーズ第8戦

(夫)
8R
3-2-1 200円
3-1-2 200円
1-3-2 100円
1-2-3 100円

9R
3-6-1 100円
3-6-2 100円
2-3-6 100円
2-6-3 100円

購入 1,000円
払戻 0円

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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