めおと舟 その11『戸田のモツ煮込みと猫の毛玉』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。当初はビギナーズラックで順調に勝っていた夫婦だったがその後夫だけ的中率が低下。いよいよ勝率で妻に負け始めた頃、ようやく当てに行くための買い方を学び始めるのだが──。

我が妻はとても真面目で正義感あふれる良き女性なのだけど、ひとよりも少しだけ凝り性な部分がある。こだわりが強いというか。自分を強く持っているというか。マイケル・ジャクソンもそうだし、ストリップもそうだ。あとはアメリカ・アニメのシンプソンズもそうだし、猫や、犬や、酒。諸々──。

ああ、私はこれが好きだ──となると、猪突猛進。その道に我道を見出すタチらしい。

「ひろし、もう食べる?」
「ああ、出来たんだ。食べるよ」
「仕事大丈夫?」
「うん。もう大体出来てるからいいよ。急いでない」
「そう。ご飯どのくらい行く?」
「普通に食べるよ」
「わかった!」

食卓に並べられる器。白米。きんぴらごぼう。梅干し。そしてテーブルの中央、大皿には辛味を効かせたモツ煮込みが、食欲をそそる匂いと湯気を景気よく立ち上らせている。

「おお……。うまそうだ。結構早かったね」
「うん! 圧力鍋さん凄いね!」
「よく使えるなぁ圧力鍋。あれ怖くない?」
「怖くないよぉ。ひろしはビビリだなぁ」
「いやぁ、アレ怖いよ。爆発しそうでさぁ。使えないもんなぁオイラ」
「へへ。今度また教えてあげるね」

モツ煮込み。これは元来オイラの好物だ。辛いものが苦手なくせに、これだけはイケる。とびきり甘辛く煮込んだこいつを、炊きたての白米と一緒にかッ込むだけで、幸せな気持ちになる。肉の旨味と、みりんの甘さと。何使ってるか良くわかんないけど下の先っちょをツインツイン突いてくる辛味と。ネギの香り。これだけで他にもう、何の栄養もいらない。オイラは定期的にこいつが食べたくなって、その度にはるにお願いするのだ。いつものやつを食わせてくれと。そして彼女は毎回、たった一言。

──わかった!

「ひろしはモツ煮込み好きだなぁ」
「コレ嫌いなヤツいないよう。はるちゃんは料理が上手だねぇ」
「へへ。そうでもないよぅ……」

人より少しだけこだわりが強い女。はる。彼女のこだわりの強さは概ね生活にプラスに働いているけども、判断に難しい部分がないと言えば嘘になる。

「わたしこれ食べたら仕事に行くね」
「あれ。今日出勤だっけ?」

スマホのデジタル表示に目を向ける。午後19時手前。夜だ。

「そうだよ。今日は○○ちゃんが休みだからさぁ。前から言ってたよぅ。だからひろし、これ食べ終わったら食器洗っておいてくれる?」
「ああ。全然いいよ。洗っとくね」
「ありがとう!」

食事を終えて立ち上がる妻。部屋着を脱いで着替える。普通のOLはそんなに着ない感じの、ドレスみたいな服装だ。それから時計の針を気にしつつ、すこしだけ慌ただしく鏡台に向かった。ファンデーション。口紅。マスカラ。男子には良くわからない手順で、何がなんだか良くわからない、似たような小瓶を手にとっては、複雑怪奇な工程で顔を作り上げていく。

「ああ、急がなきゃ。ゆっくりしてたら結構時間がやばいかも」
「大丈夫だよ。別に。遅刻したところで……」
「こらぁ! そういう所だぞひろし。時間はねぇ、守るためにあるんだから」
「まあね。……頑張ってね。あんまり飲みすぎないようにしなね。はる」
「うん。大丈夫。わたしはひろしよりもお酒強いもん」
「よく言うよ。たまにマーライオンみたいに吐くくせに」
「マーライオンじゃないもん!」

──酒好きが高じて週に一度、彼女はなんと都内のスナックでバイトをしているのだ。どうせ飲むなら、スナックで働いた方がいい。普段飲めない高いお酒をただで飲めるし、その上にお金も入る。それって物凄く得じゃない……? それが彼女の言い分だ。ダメだと言っても聞かないのはオイラが世界で一番知ってる。行っておいで。頑張りな。それだけだ。ゆえに週に一度。あるいは二度。妻は夜の蝶として経済を回している。いままで経験もなかったくせにだ。お酒が好きだとなったら、猪突猛進。彼女はそういう人なのだ。

メイクを仕上げる妻。オイラはまだ食卓の前で、モツ煮込みと格闘していた。

「ねぇひろし。そういえばさ」
「どうした?」
「戸田のモツ煮込みって美味しいらしいよ」
「……戸田?」
「そう。ボートレース場」
「ああ、戸田か」
「うん。戸田」
「へぇ……。勉強してるね」

ふんふんと鼻歌を歌う妻。

「なんかねぇ、お店にさぁ、ボートレースでめちゃくちゃ勝ってる人が来てさ」
「……ん?」
「その人ねぇ、日本全国、全部のボートレース場行ったんだって」
「うん」
「その結果、全部のボートレース場の中で、一番美味しい食堂のメニューは、ボートレース戸田のモツ煮込みだよって言ってた。ひろしもモツ煮込み好きだからさぁ。今度行ってみようよ」

俺の中の何かが警鐘を鳴らした。

原因は「ボートレースでめちゃくちゃ勝ってる人」。この単語だ。妻は毎回スナックでの仕事の内容をなんとなく教えてくれる。どんな人に会った。こんな事があった。ただ、妻がベロンベロンで帰って来る時はオイラも別の店でもっとベロンベロンになってるので、あんまり聞いてないのだ。話を。ボートレースでめちゃくちゃ勝ってる人。なんか微妙に聞いた覚えも、あるような気がしないでもない。収支。勝率。知識。この2ヶ月くらい、妻はオイラをぶち抜いてさっさと結果を出しているらしい。細かい収支を突き合わせたわけじゃないけど、収支と勝率は既に負けてると思う。いくら彼女が昼間の化粧品会社でやることがなくボートばっかりやってるとは言え、進化のスピードが早すぎる。

「へぇ……。めちゃくちゃって……。どのくらい勝ってるの? その人」
「わかんない。でも家建つくらい勝ってるって」
「なんだそれ……。まじかよ」
「まあお酒の席だけどねぇ……。とにかく戸田のモツ煮込みが美味しいってさ」
「モツ……。ねぇ、その人とはボートの話をよくするの?」
「するよぉ。でもそんなに会ったことないからなぁ……」
「ねぇ、どんな話してた?」
「だから戸田のモツが美味しいって……」

口紅を塗りながら、鏡の前で唇を開いたり閉じたり。そうして全体の出来栄えをチェックしながら、彼女は香水を手にとった。危険を察知してピノコが逃げる。十分に距離が離れた所で、妻が頷いて手元の小瓶の頭をプッシュする。ふわりと、シャネルの香りが漂ってきた。

「まあ、モツは置いといてさ。コツみたいな話とかしてなかった? コツ」
「モツ?」
「コツだよ。コツ」
「コツ……。まあ、別に……。色々言ってたけど覚えてないなぁ……」
「またまたぁ。なんかさぁ、言ってなかった? それでさぁ、はるちゃんもいきなり勝てるようになったりとかさぁ」
「ないよぅ、そういうの。普通に──どこが美味しいとか、どこが不味いとか──。それで一番美味しいのが戸田のモツだって」
「ねぇねぇモツはもうさぁ、いいじゃん。一旦置いといて。ボートレースの予想のやりかたとかさぁ。普段どういう風に狙ってるとか──……」
「んー。モツしか覚えてないなぁ……」
「モツはもういいじゃないかよ……」
「ああ、なんかねぇ、桐生と戸田、だいたい同じくらいの距離なんだって。家から」
「うん……。で?」
「で、やっぱり戸田行っちゃうんだって。モツが美味しいから」
「──モツはもうええ!」
「へへ!」

いってきます。元気よく右手を振りながら部屋を出る嫁。玄関先のダンボール型爪とぎの上で伏せた状態のピノコが妻の後をついていこうとドアを潜り、3秒後には首根っこを掴まれて部屋に戻される。お決まりのパターンだ。オイラはそれをいつものように受け取って、いってらっしゃい──。そうしてピノコをお腹の上に乗せてベッドに寝っ転がる。蛍光灯の光。眩しくて目を閉じて、そうして愛猫のしっぽの付け根をとんとん叩きながら、つぶやいた。やべえぞ、と。

「な。ピノコ。やべえぞ」
「………」
「分かったぞ。オイラとママの勝率の違いの理由が」
「………」
「要するにあれだな。ママは外で働いてるから、ボートやってる人と話す機会が多いんだよ。オイラは周りにやってる人いないじゃん。情報交換できないのさ」
「………」
「これさぁ。物凄くデカい違いだと思わないかい。ねぇピノコ。ずるいよなママは」
「──……コッ」
「おッ?」
「……コッ。コッ」
「あ、毛玉か。吐きそうかピノコ……大丈夫か。いまオイラのパジャマにゲロかかるからダメ。ちょっと待って。あっちのトイレいこうね。はいシー、シー。シー」

勢いよくゲロを吐く猫。その背中をとんとんしながら、オイラはもう一度つぶやいた。やべえぞと。収支も、勝率も、そしておそらくは知識も。すでにオイラは、嫁に圧倒的に負けてる。なんせ戸田のモツ煮込みが美味いらしいという事すら、オイラは知らなかったのだから。

モツ煮込みが、好きなくせにね。

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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