めおと舟 その27『That’s What I Want(1)』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。順当に勝つ妻。負け続ける夫。いつしかすっかりハマった二人は実際のボートレース場での取材などを経ていよいよ順当に成長しているよるように見えた──。

「あ、ウェブでご覧になって……。ありがとうございます。○○マンションですか──。ええと……。すぐに確認いたしますので少々お待ち下さい」
「はい。すいません。まだ空き状況と初期費用の確認だけで即入居って訳じゃないのですけども、大丈夫ですか」
「もちろん。大丈夫ですよ。どうぞお掛けになって下さいませ。何か温かい飲み物をお出しいたしましょうか?」
「では……コーヒーを──恐縮です」
「とんでもない。承知いたしました。ただ今お持ちしますね。さて……。○○マンション。○○マンション……。ああ、浅草ですね。ただいま11階に入居可能な空き部屋がございます。あと……8階が3月退去予定になっているとの事ですが、どちらでお出ししましょう」
「11階は2LDKですよね。8階の方の間取りは──……」
「2DKになります。48平米でお家賃も11階より少しお安いですね。……はい、プリントアウトした資料がこちらになります」
「あー……和室なのかぁ」
「和室ですね。11階の間取りはお持ちですか?」
「はい。ウチでプリントアウトしてます。妻がハウスダストにアレルギーを持っていて、和室はちょっと厳しいみたいなんですよね」
「なるほど……。奥様とお二人でのご入居ということでよろしかったですか?」
「あと、猫です」
「猫ちゃん。猫ちゃんがいらっしゃる──……。ああ、こちらペット可の物件になっていますね」
「はい。その辺は抜かりナシです」
「あはは。良かったです。……ただですねえ、お客様。実はペットがおられる場合、敷金が一ヶ月分割増になるんですよ。ご存知でしたか?」
「割増というと……」
「こちらにあります条件に──」
「プラス、一ヶ月?」
「はい。そうなります」
「……ああ、なるほど。わかりました。なるほど……。そうか……。痛いな……。では、すいませんがその条件で一旦初期費用を出しして頂いてよろしいですか?」
「承知いたしました。では少々お待ちくださいませ」

1月某日。はるが仕事始めの出勤日を迎えた翌日、オイラは一人で不動産屋に来ていた。去年の夏頃に一度、はると来たお店だ。前回はたしか三ノ輪の物件ばっかり勧める鼻メガネみたいな兄ちゃんが対応してくれていたのだけど、今回向かいに座るのは若い女性だった。予め賃貸情報の総合サイトで入居希望の物件を絞ってきていたので、話がスムーズだ。

○○マンション。

現在住んでいるマンションから徒歩15秒くらい。ほぼお隣さんと言って良い物件だ。生活のリズムやエリアをほぼ変えず、単純にいまよりも広い部屋に越す。これは我々夫婦の一番の希望だったので、渡りに船。考えうる中で最高に近い引越し先候補だと思う。我ながら良い場所を見つけたものだと、運ばれてきたコーヒーを啜りながら改めて思った。ただ問題は──……。

「おまたせいたしましたお客様。こちらが初期費用になります」
「拝見いたします──……おうふ! ンー。なるほどォー……。ピノコォ……」
「ピノコ?」
「猫です。うちの。いやー、敷金一ヶ月プラスの事を知らなくて……。いやー。まあしゃあないかぁコレ……」

目の前に並ぶ数字。予想よりかなり高い。もともと高めに見積もっていたのだけども、それよりガツンとみぞおちに来る金額だった。浅草。2LDK。目の前に印刷された数字のリアリティは、事前の覚悟が如何に口だけだったかを見せつけてくるようなリアリティがあった。

「わかりました。じゃあ、3月までココが空いてたらココにしたいと思います。空いてれば、ですけども──」
「ンー……。3月。あと2ヶ月弱……。どうでしょうねぇ……。ちょっとお約束はできないかも知れませんが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。誰か借りちゃったらもう、その時はその時──。諦めます」
「かしこまりました。ああ、お客様。では私共の方でこちらのマンションの情報を随時チェックして、もし入居者があった場合はお知らせして別の物件をご紹介する、という流れにしても宜しいですか?」
「ああ、そりゃ助かりますねぇ。お願いしても良いですか?」
「もちろんです。ありがとうございます。そしたら──こちらの書類に必要事項を記入してくださいませ。希望される物件についての簡単なアンケートもございますので──」
「はい。分かりました」

名前、生年月日、住所、携帯番号。持参したボールペンでカリカリと記入しつつ、最後の項目で手が止まった。職業欄だ。先日までは当たり前のように会社員にチェックマークを入れていたのだけど、そうだ。オイラはもはやフリーランスなのだ。自営業にチェックを入れた方が良いのだろうけど、とはいえ昨年の7月に青色申告開始手続きを行っているので今年の4月までは白い紙での申告だ。まだ自営業者とは呼べないような気がする。どうすんだこれ。

「あのー……。ちょっといいですか。オイラ自分の職業がちょっとよく分からなくて」
「……と、おっしゃいますと」
「去年7月に開業したばっかりの自営業者なんですよ。しかも非店舗型の仕事なんでなんて書けば良いのか──……。あ、一応今持ってます。開業届けの写し」
「拝見しても宜しいですか?」
「どうぞ。これです」
「あー……。ほんとだ。去年ですねぇ……。これは──……」

さっきまで朗らかに対応してくれていたお姉さんの目が曇る。難しい表情だ。それを見て、オイラの気持ちも沈んだ。「やっぱりな」と思った。薄々危惧していた事ではあるのだけれど。

「すいません。お客様。開業されたばかりの方は審査通らないです」
「……やっぱり?」
「はい。私が知る限りでは無理ですね。最近は保証会社の審査が厳しくなっていて──」
「ええと、無理っていうと、収入的な?」
「いえ、極端な話、収入が幾らあっても審査対象にならないんですよ」
「対象にならない……」
「はい。ほとんどの保証会社が、開業から2年目までは確実にNGが出ます。法人であれば別なのですが──」
「えー……。青でもダメですか?」
「はい。屋号があっても──。開業から2年目まではどうしても──」
「えー……。じゃあもうオイラは引っ越しできない感じですか?」
「少なくとも保証会社が付いている所は厳しいと思います」
「マジかぁ……。あいたたた……」
「しかも浅草はほとんど保証会社がついてますよ」
「ンー。痛い。痛いなぁ……。ダメですかどうしても」
「はい。ダメですね。どうしても……。すいませんお力になれず……」

その日の夜。ビールを飲みながら荒れ狂うオイラ。はるが作ってくれた鍋をつつきながら一通り話したあと、天を仰ぐ。

「なんだよもォ! 不動産持ってる人間がそんなに偉いンかッつー話ですよ!」
「ちょっとー。ひろしィ。はいドウドウドウ」
「ドウドウしないで! オイラ怒ってるんだから!」
「はいドウドウドウ……」
「ンー……。くそう……。なんだよ保証会社ってムカつくなぁ……。オーナーさんと話さしてくれ! オーナーさんもオイラの目をみたら分かるよ。ああコイツは大丈夫だなって! 目を見て下さい!」
「はいドウドウドウ……。お鍋おたべ。美味しいよ?」
「うん……。食べる……」

まあしかしだ。冷静に考えたら当たり前の話ではある。だって反社会的組織の人とか、あるいは外国人絡みの犯罪集団の人たちとか、一般の会社に所属出来ない人は物件借りる時にまず開業届を盾にすると思う。なぜなら税務署に出す『開業届』と『青色申告開始申請書』は性善説に基づいてるからだ。そもそもそれらの手続きは国が推奨してるの事なのでハードルを高くする事が理念に反している。ゆえに完全にノーチェック。たとえ営業実態が無いとしても出すだけなら自由なのだ。結果「自営業」というのは「無職じゃないもん」の言い訳として最強のツールになってしまっているのである。

「ったくもう。悪いことするやついっぱいいるんだろうなぁ。こんな厳しいと思わなかったよもう……」
「ンー……。もうちょっとさ。色々調べてみましょうよ。○○マンションはちょっと惜しいけど」
「ほんとだなぁ。マジで。かなり良かったんだけど……。くそう。まさかこんな落とし穴があるとはナァ……」
「ねぇ、それよりもさ」
「ん?」

柚子胡椒。ポン酢。豚肉の甘い油。はるちゃんとオイラの共通の好物はこのお鍋だ。冬場は本当にこれだけでいいし、なんなら夏場だってずっとこれでいい。変化を好まず。同じリズムで。同じ事をし続ける。淡々と。淡々と。淡々とだ。これが十年続いて、二十年続いて。そうやって昔を振り返った時、ああもうずっと同じことを繰り返してるなと思って安心する。我々夫婦はそういう生き物だし、ずっとそうありたいと思っている。趣味も変わらない。オイラが好きなのは昔から格ゲーとメタルとゾンビ映画とパチスロだ。変化があったとすれば去年脱サラした事と最近ボートを始めた事くらいだけど。それだって根底に流れるソウルは同じだもの。物書きは学生時代からずっとやってるし、ギャンブルはそもそも好きだし。変わらない。淡々と、ずっと楽しく。昔のまんま──。

「長崎今年どうする?」
「長崎なぁ……。出費を抑えたいから、今年はいいかなぁ」

長崎。オイラの実家である。去年は独立のバタバタで結局帰ってない。今年こそはと思っていたのだけど、長崎のいちばん美しい季節が引っ越し時期とかぶる。行くか行かないかちょっとだけ迷ったけど、結果として行かない方に傾いている。

「いこうよ。最近ひろしずっと仕事してるしさぁ。骨休めしようよ」
「骨休めぇ? 却って疲れるぜ。長崎。なんだかんだお酒一杯飲むしさ。ジュンちゃんの相手も面倒だろう?」

ジュンちゃん。とはオイラのオヤジである。御年七十と幾とせ。若い頃はそれはそれは怖いオヤジだったが、近年は1パチを愛し孫の爆誕を待ちわぶる好々爺と化している。オイラをそのまま爺化したような爺様なのでウマが合うのか、意外にもはるはジュンちゃんの事を大事にしてくれている。

「そう。お義父さんよ。お義父さん。ねぇ、ちょっとわたし考えたんだけどさ」
「なんだい……。なんか怖いな」
「ひろしの実家、長崎の佐世保でしょ?」
「うん。そうだよ」
「空港はどこでしょう?」
「大村だねぇ」
「そう。大村……!」
「大村がどうしたんだよ。言っとくけどなぁ、大村の空港は滑走路にタヌキのうんこが散乱してて欠便が出たことがあるんだぜ。ポンコツたいあの空港は!」
「じゃなくて! 大村よ! ボート! ボートレース大村!」

はるはラム酒のお湯割りをクビリと飲んで、そうしてぷはぁと吐いた。

「ねぇ、お義父さんと一緒にさ、ボートレース大村いかない?」

──引っ越しまであと58日

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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