めおと舟 その29『閑話。カレーとボートレースとスマホと』

連載
めおと舟

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。夫の職業がボトルネックになり肝心要の引っ越しそのものに暗雲が垂れこめるなかで迫る予定日。胃が痛むようなプレッシャーの中、夫の実家である長崎への一時帰郷案が突如持ち上がる──。

閑話。むだばなしの事である。

オヤジとのボートレースは2月20日の予定なのだが、それに合わせて先読みで連載にネタをぶっこんでたらどう考えても早く始めすぎてたのが判明した。というわけで続き物のお話はちょっとひとやすみ。昔話をしよう。大丈夫。ボートレース関係ある。へへ。

……あれは2016年頃の話だ。

当時、オイラは電器屋に勤めていた。とはいえ、雇用先自体は電器屋そのものじゃなくて、そこで扱う商品やサービスの方に紐付いていた。勤め先は電器屋だけど、電器屋の人じゃなくて外部の人。これを電器屋用語で「メーカーさん」というのだけど、更に厄介だったのがオイラはそのメーカーさんの中でもちょっと特殊な立ち位置のミッションを請け負っていた事だ。具体的に何やってたかはあんまり面白くないので割愛するとして、勤務場所がなかなか奮っていた。

なんと日本全国なのだ。京都に出張ったあと2日休んで2週連続で札幌へ。戻ってきたら今度は大阪行ってその次に仙台。それからまた大阪を挟んで名古屋へ。とか平気でそんなシフトだった。これはこれで今思うと面白かったのだけど、致命的な事にオイラは基本的に家以外の場所で寝るのがあんまり好きじゃないのだ。メンタルが豆腐なので枕が変わると落ち着かないのである。なので日帰りで行ける所はギリギリまで日帰りで済ますようにしていた。上の例でいうと、仙台は毎日日帰りで通っていたし、なんなら最後のほうは京都も日帰りで頑張ってたような気がする。別の仕事の時は四国まで日帰りで3日連続で通った事もあるので、むしろ会社が良く交通費を出してくれたもんだなと思う。

さて、とにかくそんな感じの仕事を結局の所2年くらい続けていたのだけど、日本中回るといっても大型家電量販店の数には限りがあるので、時には同じお店にあたる。そうすると顔見知りも出来る。また、お店の雰囲気やルールも分かってくる。そしてこれはそんな折に『二度といきたくねぇな』としみじみ思ったお店の話である。

家電量販店にはいくつかのアカウントがある。有名どころではヨドバシ。ビックカメラ。ヤマダとかケイズとかエディオンとかね。オイラはそもそもその中のひとつ。とあるグループが大嫌いだった。全然いい思い出がない。次の週にその店に行くとなると毎回上司に交渉して何とか別の所にしてもらおうとするくらいには嫌いだった。家電から足を洗った今でもその店舗では絶対に物は買わないし、未来永劫立ち入る事もないと思う。そのくらい嫌いだ。働いてる個々には良い感じの人も沢山居たのだけど、会社としてノリが体育会系すぎて駄目だった。なんかルールがイカれてるのだ。

例えばスマホ禁止、がそれだ。

信じられないかもしれないけど、なんとこのご時世に店舗の休憩室へのスマホの持ち込みが禁止なのである。これはなかなかハジけていた。思うに過去内部犯による盗難やらなにやらに遭いまくった結果、入退店のチェックがドンドン厳しくなっていき、最終的にこじらせてもう休憩室でスマホ出した瞬間誰のものだろうと没収(マジでしようとする)みたいな流れになってるんだろうけど、まあそんなもん守る方も守る方だと思うんで割と持ち込んでる人もいたし、没収されてる人もいた。

でだ。東京よりも北の方にある、とあるお店での話だ。お昼の休憩時間。社食で飯を食べてる最中だ。例によってスマホ持ち込み禁止だったので天井からぶら下がった据え付けのテレビでヒルナンデスか何かを見ながらボケっとしてた。壁にはこんな張り紙がある。

「休憩室でのスマホ持ち込み禁止。発見次第没収いたします」
「携帯ゲーム機の持ち込み禁止。発見次第没収いたします」
「競馬中継禁止。競馬新聞の持ち込み禁止。発見次第没収いたします」

気が滅入るぜ。刑務所みたいだ。と思った。頭の中で計算する。ちくしょうあと3日もこの店に入らなきゃならない。毎回イヤだって言ってるのになぜオイラをここに入れるんだ。それ以外の事をオールオーケーにしてるからたぶんナメられてるんだろうけど、ちょっと一回ガツンと言わねばならない。まあ実際ガツンと言う度胸なんてないのだけど。

とか思ってる最中に、どこからか声がした。みんなサイレント図書館みたいに黙りこくって文庫本を読んだり雑誌を眺めたりしてる中。その金切り声は暗闇の中に灯る水銀燈の如く、室内を鮮烈に照らした。目を向ける。身長145センチくらいの小太りのメガネ。おばちゃんだ。それが並べられた机と机の間の通路の部分に立ち止まり、鬼の首でも獲ったみたいな顔で何か言ってる。言われてるのは机に座ってカレーを食ってるオヤジだ。首からぶら下げられてる社員証は某テレビメーカーのものだった。しきりに手刀を切るようにして謝っている。

「すいません、ちょっと会社と連絡を──」
「……没収しますので貸してください」
「いや、ちょっとすいません。次から気をつけますので──……」
「店舗のルールはご存知ですよね? 休憩室でのスマホ利用は禁止していますし、事前の店舗挨拶の時にご説明しておりますが?」

メガネのおばちゃんは店舗の内勤の人だ。長きにわたる家電量販店生活で大体分かったけど、こういうタイプはすげーキツイ。店舗の花形はやっぱり売り場に出る人なのだ。だから大抵の新入社員は店舗勤務に回される。そしてそこからなにか問題を起こして脱落し、内勤になるパターンというのが実際に結構あるしオイラも見てきてる。コイツは接客出来ねぇから内勤へ、だ。もちろんそうじゃなくて内勤として輝く人だから最初ッから内勤の社員も居るだろうけど、おそらくこのメガネはそうじゃない。なんか言い方が腹立つしネチっこい口調も人をイラつかせるものがあるので、接客出来ないから内勤のパターンなんだろう。

「いやぁ……。ちょっとこれ没収されちゃうと仕事に支障が出るので……」
「特例で貴方だけ許すことはできませんが? お出しください。あと上長のかたから注意していただきますのでご連絡先を書いてください」

ジョウチョウ。この場合は上司のカッコいい言い方みたいな感じで使われてるけど、これはここ十年くらいで急に使われ始めた誤用だ。最初通信業界でいきなり使われ始めたのが一気に広がったように思う。【上司】は役職が上の人を指す言葉で、【上長】はそれにプラスして『年齢が上の人』をも指す。つまり相手の上司が発言者より年上かどうかなんか分からないので、【上長】というのは自分から発言する時にのみ使える単語なのだ。わたしの上長。とかね。これは正解。でもあなたの上長、という使い方は成立しないのである。同じように通信業界発祥の妙な日本語には『ほぼ』と『だいたい』が魔獣合成された【ほぼほぼ】があるのだけど、オイラの所感では【ほぼほぼ】を使う人は【上長】も使う。

「ジョウチョウ……って誰の事ですか」
「貴方の上長ですが? 上長おられますよね?」
「すいません、ジョウチョウって言葉が良く分からなくて。上司の事ですか」
「上長ですが?」
「ジョウチョウ……? ああ、上長ですか。上長というのは先輩って意味もあるんですよ。だから上司とか部門長って意味じゃないんですよね。すいません初めて使われた単語だったんで理解できなくて」

オヤジ、まさかの反撃。なんてこった。急転直下で手に汗握る展開になり、オイラは思わず天を仰いだ。さあどうする、メガネ。

「……そんな事はどうでもいいんですが? 上長の番号を教えてください」

ンー。ノーダメージ。苦笑いするオヤジ。いやー、相手が悪いぜ。流石にコレは。……とにかく、こんなやり取りがしばらく続いたあと、オヤジは渋々スマホを渡した。次にメガネが差し出した紙にジョウチョウの携帯番号か何かをメモって返す。これにて一件落着。あとはオヤジのスマホの可及的速やかな返却を待つばかりなのだけど、メガネは更に攻めた。

「それで、会社と連絡を取っていた、という事で良かったですか?」
「はい……」
「誰と連絡していたかも教えてください」
「……は?」
「ルールですが?」

誰と連絡してたかなんか個人情報も良い所である。普通は確認しない。でもこのメガネの女は何が逆鱗に触れたのか──まあジョウチョウ、という単語が理解されなかったことだろうけど、おそらくは普段聞かないそんな事まで言い始めた。報復である。

「いや……それは別に……。関係あるんですか」
「スマホ禁止なのですが?」
「いやまあ別に……。誰とも連絡とってませんよ」
「……先程会社と連絡していたとおっしゃってましたが?」

これ、信じられないかもしれないけど100人近くがひしめき合う、郊外の大規模家電量販店の食堂での出来事である。シーンと静まり返る中。後から入ってきた社員やバイトや派遣スタッフが、「あれなにやってんの?」みたいな顔でお互いにヒソヒソと情報共有し合う。

「連絡はとってないです」
「じゃあ、スマホで何をやってたんですか。禁止ですが?」
「…………です」
「はい? 聞こえませんが?」

オヤジは今日一の堂々としたした姿勢で答えた。

「ボートレースです」

メガネが一瞬黙った。そしてビッと指を立てて壁側に向ける。そこには「競馬中継禁止。競馬新聞の持ち込み禁止。発見次第没収いたします」の張り紙が。

「競馬は禁止ですが?」
「ボートです」
「同じですが?」
「同じですか。じゃあ、同じで結構です。もう行って下さい」
「後ほど、またお話を伺うと思いますが? 今何売り場にいらっしゃいますか」
「黒物(テレビとかの事)です」
「黒物の、○○さん……。わかりました。失礼します」

スマホとメモ類を持ち、食堂を後にするメガネ。数十秒の沈黙の後、さざなみのような雑話の音が至る所から沸き立った。時計を見る。そろそろ休憩も終わりの時間だ。返却口に戻すため食器を持って立ち上がる。先程怒られていたオヤジの横を通った時、オイラは思わず声をあげそうになった。

オヤジは、机の下の膝の上で、見つからないようにまたスマホを弄っていた。恐らく業務端末かなにか。あるいは隣のオッサンから借りたか。何にせよ、それでボートレースの中継を観ていたのだった。ふと、オヤジと目があう。頷くオイラ。ニヤリと笑うオヤジ。

ロックなオヤジだな、と思った。

……その、半年後である。散々イヤだと言ったのに、またその店に入る事になった。しかも今度は3週間連続。長い。よっぽど骨折でもしてサボってやろうかと思ってたのだけどそうもいかない。入籍したばっかりのはるちゃんにケツを叩かれるようにして家を出て、暗澹たる思いで午前の業務を終えた。

ああ、ここはスマホ禁止だったな……。そうだよ。一時間何して過ごそう。せめて外出オーケーにしてくれればいいのに、それすら禁止だから目も当てられない。店によっては売り場でパズドラやってても何も言われないゆるゆるの所すらあるのに、この差はなんだというのだ。などと憤懣やるかたない感じで休憩室に入るやお決まりのカレーを注文し、そして壁際の席に着座。ヒルナンデスを見ながらふと壁に目を向けた。お決まりのルール表だ。なんとなく目を走らせ、そして、オイラはカレーを吹き出しそうになった。

「休憩室でのスマホ持ち込み禁止。発見次第没収いたします」
「携帯ゲーム機の持ち込み禁止。発見次第没収いたします」
「競馬中継禁止。競馬新聞の持ち込み禁止。発見次第没収いたします」
「ボートレース禁止。発見次第没収いたします」

……一体何を没収するんだろう。と。

──引っ越しまで、あと42日。

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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