めおと舟 その33『おやこ舟 中編』

連載
めおと舟

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。夫の職業がボトルネックになり肝心要の引っ越しそのものに暗雲が垂れこめるなかで迫る予定日。胃が痛むようなプレッシャーの中、夫の実家である長崎への一時帰郷案が突如持ち上がる──。

**********

スーツ姿で一度深呼吸して、煙を吸い込む。菊の花と抹香と、良くわからないけど卒塔婆みたいな木のオブジェ。某保険会社で40年くらい現役でやってたエーコ婆ちゃんは、本人が望むとか望まないとかに全然関わらない場所をしてなお、大量の後輩やら関係者に対する求心力を持っていたらしく。彼女自身がすっかりボケつつ苦しみも悲しみもない世界に旅立ったあとの、そのお通夜の場にて、如何に彼女が偉大なひとであったのかを、オイラを始めとする遺族にバッチリ見せつけた。

そもそも作法を知らないけども、直前にお葬式コーディネーターみたいなおばちゃんから言われたまんまの形で良くわからないジャスミンの匂いがする粉をつまんで火にくべた。煙が立ったら一礼して合掌して、それからしばらくするとまた、よく知らないけどもこういうのに慣れてますみたいなおばちゃんがもってきたマイクを握って、いよいよオイラの番がきた。周りを見渡した。静謐。静まり返った場内。しかつめらしい、息を呑むような威圧感があった。エーコ婆ちゃんの最期を見届けようと集った人々。既に長崎を離れて久しいオイラにとっては顔も名前も知らない、よくわかんない人たちだ。さっきまでおのおの俯いて今はなき親愛なるエーコ婆ちゃんに思いを馳せながら、やれ冥福を祈ったり、やれご愁傷さまです。坊主の説法。オイラにはどういう力学でそういう流れにおちついてるのかイマイチぴんと来ない作法であれやこれややりながら、沈痛につぐ沈痛だ。でもね。遺された遺族は痛快な事に、お骨を拾う段階ですっかりお別れを済ませてるのだ。酒を飲んで。お別れして。だいたい全部終わらせてるからもう、お葬式なんてただのセレモニーだった。ありていに申さば。我々の一族はその時酔っ払っていたのだ。

──遺族代表でどなたか、スピーチをお願いします。

直前で言われたその一言に、全員で手を挙げた。関係はあるんだろうけど、はたしてどれくらい親しいか分からない親戚の子まで、ファッと手を上げて。ぼくにぼくに、わたしにわたしに。オイラはそれがものすごく嫌だった。悪いね。オイラが嫡男だから。オレンジ色の常夜灯。暗い穴。おばあちゃんの所へ行きな。あの日からオイラはこの家の。この家族の子になったのだ。立ち上がって、手を挙げる。誰も文句は言わなかった。長崎に帰るのは十年振りだったけど、誰も何も言わなかった。言わせなかった。俺がこの家の長男なのだもの。じゃあ、ひろしさん。お願いします。それで決まりだった。

お葬式。マイクを握る。抹香。棺桶。菊の花。告別式。長い長い坊主の念仏を聞いて、それから──。

「おばあちゃん。いままで迷惑ばっかりかけてごめん。初めてあったあの日。あの夜。抱っこして貰ってからずっと。お婆ちゃんはオイラのお母さんでした」

葬式が終わって、遺族の控室でぼぅっとしてると、誰かに肩を叩かれた。振り返るとオヤジが缶ビールを片手に立っていた。何も言わずに受け取って、プルタブを引いた。プシュっと炭酸が抜ける音。アルコールの匂い。何も言わずに並んで飲んだ。佐世保港の方に、西日を反射する海が見えた。婆ちゃんのお通夜。葬式。つい昨日のことのようだけど、もう、何年も前の話だ。

**********

長崎空港に到着したのは午後2時55分だった。新型肺炎の影響か何か知らないけども、予想より乗客の数は少なかった。まばらな座席。座席の上部にある手荷物置き場からリュックを引っ張り出して背負って、オイラとはるちゃん。二人してスッと飛行機を降りた。

「おお、おかえり」

到着口には早速オヤジが居た。荷物を引きながら周りを見渡すオイラよりも早く、はるちゃんが気付いた。指を差された場所に目を向ける。あったかそうなベストを羽織った地味な色合いの老人が居た。我が父、ジュンだ。

「うっかり2時間くらい早ヨォついたばい。久しぶりねぇひろし。はるさんも元気しとった?」

笑いながらハイタッチをする。会釈するはるちゃん。うっかり2時間早く着いた。ンな訳がない。敢えてそうしてるのだ。それくらい、オイラとその嫁、はるちゃんに会いたかったのだろう。苦笑しながら「早すぎるぜ」と言って、オヤジの軽自動車に乗り込む。さあ、本番はここからだ。

「父ちゃん、あのさ、一時間だけオイラたちにくれない?」
「ん。よかよ。どっか寄るとね」
「ボートレース行きたいんだよね」
「ああ……。なんか言いよったねェ……。ほんとに行くとね?」
「うん。すぐだから。すぐそこ。ジャスコあんじゃんホラ。あの向こう。海沿いにね。ボートレース場があるんだよ」
「知っとるけど……。えー。長崎に帰ってきてまでお前……ボートォ?」

正念場だ。オヤジがボートレース行きをゴネるのは織り込み済みだった。オイラ独りでは恐らく説得は無理。だけど今回は妻がいる。はるちゃんだ。後部座席に目配せをすると、彼女はおもいっきりヨソ行きの声でこう言った。

「行きましょうよォ、お義父さん。楽しいですよォ!」
「なんね。はるさんもボートするとね?」
「はるちゃんはオイラよりやるぜ。なぁ!」
「しますゥ! こんな機会なかなかないじゃないですかァ! お義父さんと一緒にボートしたいですゥ! 楽しいですゥ!」
「ンー。はるさんが言うなら……。うん。分かった。もうすぐボートレース場でよかと? ご飯は?」
「あとから食べるですゥ!」
「あ、父ちゃんあとからイカ食いにいこうぜイカ」
「イカ……? 今日は3人で鍋でもしようかと思って──」
「イカたべたいですゥ!」
「ンー。はるさんが言うなら……」

父ちゃんチョロし。こうなることは予想の範疇だけど、やっぱりはるちゃんにデレデレだった。前回帰郷した時に既にその兆候は見えていたので、今回のボート行きも実はそんなに心配していなかった。おそらくはるちゃんが頼めばヤツは行く。そして実際、その通りになった。

国道なんとか号線。長崎空港から南に伸びる曲がりくねった細い道だ。オヤジの軽自動車の助手席でスマホに目を向ける。

「父ちゃん、タバコ吸っていい?」
「禁煙ばい。この車は。でもよかよ」
「サンキュ」

前日の夜、オイラは「ナナテイ」連載陣とないおさん。そして我が師匠Tさんと兄貴に以下のような文面とスクショをラインに投げていた。

──オヤジをボートレースに連れていくので、明日の大村3Rの予想をお願いします。

皆快諾だ。飛行機に乗っている間に20件くらいメッセージが届いていた。ひとつひとつ読み返す。全員の予想は以下の通り。

・あしの
1-26-26
6-1-全

・はるちゃん
1=2
2=6
1-25-56
2-5-6

・T師匠
1-2
1-6
1=23=6

・兄貴
2-61-61
3-1-5
6全全

・ないおさん
2-35-全

・フネスキンさん
1-236-23
3-126-126

・ナカキンくん
12-123-1236

・伊藤ひずみ先生
2-14-14

・岡井編集長
3-1-全

・武尊さん
1

以上。こうやって見るとみんなの買い方の特徴がモロに出てて面白い。特に笑えるのは俺と兄貴が6アタマの全通りをチョイスしている部分だけど、まあこれはネタなので除外。血は水より濃しな感じがしていいね。

このレースの場合、基本は山下選手の逃げをまず検討するのが普通だろうけど、そこに張ってるのがオイラとT師匠、ナカキンくん、そしてそして単勝一点全力ぶち込み宣言の武尊さん。一方で2号艇池田選手が差すと読んでるのがひずみ先生とないおさんだ。

3号艇田中選手の動きを見据えて両面買いしてるのがフネスキンさんとT師匠の古豪コンビ。特にフネスキンさんは自称「大村プロ」との事なのでこの予想は参考にしてしかるべきだろう。はるちゃんは1号艇山下選手の逃げパターンと2号艇池田選手の差しの両面買い。これもまた手堅い。兄貴はとにかく山下選手の逃げが成功しないのに全振りで2号艇・3号艇と予想してる。

渋い買い方なのがひずみ先生。B2である4号艇吉田選手が絡むとオッズが高くなるのを見越してギリギリで現実的な線を模索したように見える。万舟取るつもり満々の攻撃的な予想だ。

さて、問題はどれを買うか……だけども。そのまえに。

ボートレース大村に到着したのは1R開始前の時間。時間的にだいぶ余裕を持ってスケジューリングしてたとはいえ、一時間待つのは流石にキツイ。というわけでオイラとはるちゃんは運命の3レースまでの時間つぶしということでちょっと遊ぶことにした。新聞にペンをはしらせ、ああでもない。こうでもない。賑々しく喋りながら予想して舟券を買う。

「父ちゃん、どうせなら外で見ようぜ。レース」
「ンー。寒かばい外。行く?」
「お義父さん、行きましょうよゥ!」
「わかった。はるさんの言うなら行こう」

オヤジは正真正銘日本人なのだけど、どういう訳だかブルース・ウィリスに似ている。最初は学生時代にオイラが言い始めた事なのだけど、あんまりしつこく言うものだから本人もちょっとそれに寄せてる節がある。ちなみにこの写真を見たナナテイ連載陣の感想は「佇まいがプロのそれ」とのこと。実際ボートレース初体験。76歳の春だ。

現在松本零士コラボイベントを開催中のボートレース大村。ファンファーレはなんと「宇宙戦艦ヤマト」だった。

「ほえー! これヤマトたい。しっとる? ひろし。ヤマト」
「もちろん。全話見たよ」
「ボートレースは明るかなぁ。競輪と全然違うたい。お父さん競輪は良ォ行くけども、寂れとるぞォ競輪は。ボートは明るかァ……」

モーターが呻る。オイラたちが陣取った場所は絶好の第一ターンマーク前。激しく船体をぶつけながら展開されるモンキーターンに、オヤジも度肝を抜かれたようだった。第一レース、結果は残念ながら外れ。オイラもはるちゃんも掠らなかった。オヤジが頷く。

「うん。分かった。じゃあ、次は俺も買ってみようかね」

新聞を一瞥したあと、おもむろに券売機に向かうオヤジ。特に教えられる事もなく、すいすいと独りで買った。「はじめてのおつかい」を眺める気分でハラハラと見守っていたオイラはちょっと安心する。オヤジはまだボケては居ないらしい。

第2レース。オヤジが購入したのは1-23-6と1-6-23の4点。安易に6を入れちゃう所がビギナーらしくていいなぁとか思ってたら、これがなんと当たった。1-6-3の11倍である。

「げぇ! 当たった! まじかよオヤジ」
「ハン。何年競輪しよると思っとるとね。簡単かァボートは。はー、簡単たい」
「ぐは……。すげえなオイ。まじかよ」
「11倍。なんね。しょっぱかねぇ!」

満面の笑みで払い戻し機に向かうオヤジ。背中を見ながらはるちゃんと頷く。

「やべえなオヤジ……。マジで当てやがった。適当じゃなかったよなあれ。予想してたよね?」
「うん……してた。展示走行見て決めてたよお義父さん。宮下選手が光って見えるとか言ってた……」
「光って見える……。なんじゃそりゃ。50年くらい競輪やったらボートも分かるようになんのかよ……」

払い戻し機の前でこちらを振り向き、手招きするオヤジ。どうやらやり方が分からないらしい。それ、券入れるだけだよ! と言いながら小走りで近づいたオイラは、画面に表示された文字をみて困惑した。レースが確定していません……?

「なんねこれは」
「いや、わかんねぇ……。大村買ったよなちゃんと……んで2R……あ!」

オヤジは間違って7Rを買っていた。初勝利、ノーカンである。

「ちょっとほら。気を取り直して……。次だから。メインは」
「うん……。メイン……。じゃあ、買う──」
「今回はね、実は色んな人に予想聞いててさ。だから元気だして……」

次回! いよいよ運命の第三レース。帰郷編の最終回だ──!

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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