めおと舟 その34『おやこ舟 後編』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。夫の職業がボトルネックになり肝心要の引っ越しそのものに暗雲が垂れこめるなかで迫る予定日。胃が痛むようなプレッシャーの中、夫の実家である長崎への一時帰郷案が突如持ち上がる──。

**********

四年前の事だ。長崎の実家の近所には美味いイカを食べさせてくれる有名な居酒屋があって、そこで夕食を食べた。メンツはオイラとはる。そして子供の頃からの親友二人。途中でもうひとり友達が合流してバーに移動した。オヤジをひとりで家に残してるので早めに帰る予定だったのだけれど、なんだかんだ昔話に花が咲いてしまってすっかり午前様になっていた。実家まで1キロほどの夜道。小雨がそぼ降る中を二人して歩いて帰った。

曲がりくねった国道から脇道の石段を上ってコンクリート舗装の鄙びた生活道路へ。トンネルの上には段々畑があって、その間を縫うようにして暗い住宅地に入る。ここまでくるともう街灯もないのでひたすら暗い。スマホのライト機能をオンにして地面を照らしながら進む。角を曲がる。坂道。石段。アルミニウムの門扉を開くとギギギと音がして、その向こうに実家が見えた。玄関の灯りがついている。

「遅かったね。雨ふっとったろ?」
「いや……。大したこと無かったけども……まだ起きてたんだ」
「トイレに起きたとさ」

壁掛け時計に目を向けるともう午前2時だった。リビングのテレビでは海外の映画らしきものが流れている。どやら起きて待っていてくれていたようだ。

「なんか食べるね? はるさんはお腹はすいとる?」
「いえ、今食べてきた所なので大丈夫です」
「そうね。そしたらまた明日──。一緒にお墓参りにいこうで。お父さん車出すけん」
「あ、ちょっといい、父ちゃん」
「ん? どがんしたと」
「ちょっとそこに──ソファに座って」
「なんね。一体」

ソファに座るオヤジ。肌寒いのか、太ももに両手のひらを挟むようにして背中を丸めている。はるに目配せして、それからソファの前にふたりして正座する。オヤジは少しとぼけた顔で苦笑していた。オイラもちょっと照れくさかった。はるも、へへへと笑っている。いいのだ。こういうのは儀式なのだ。わかりきっていても、少し勿体つけるくらいがちょうど良いのである。

「実はね、オイラたち、結婚します」
「はい、結婚します」

ああ──。とオヤジが言った。それからうんうんと声を出しながら、何度か頷く。やっぱりちょっととぼけた感じの表情のまま、もういちど深くうん。それから、はるちゃんの方に向けて少し前のめりの姿勢を作った。よろしくおねがいしますね。はるさん。そう言って、またうんうん頷いていた。

「ひろしは今、いくつになったとやったっけ?」
「36だね。もうすぐ7になるけど」
「そうね。うんうん。良かたい。良かったね。それじゃあ……。お父さんは寝ますけん。また明日──ね。あっちの、お婆ちゃんの部屋に布団敷いとるけんね。電気毛布もあるけん、使うなら使えばよかよ」

今日は寒かねェ。と言いながら、最後におやすみね、と付け加えて、オヤジは座敷の布団に戻っていった。いつだったか、オイラがオレンジ色の蛍光灯と、ぽっかり空いた穴みたいな影に怯えたあの座敷だ。頭の中でざっと計算する。もう、三十年以上前になってしまっていた。障子が閉められ、音量を絞った海外映画の音と、ファンヒーターの駆動音が響いた。オイラはキッチンの冷蔵庫から缶ビールを取って、プルタブを引いた。

「まだ飲むの、ひろし」
「うん。一本ね。はるちゃんもどう?」
「じゃあ、一杯だけ──。焼酎飲もうかな」

ソファに座って、並んで静かに飲む。満ち足りた、贅沢な時間だった。不意に、座敷の方からお鈴の音がした。チーン。チーン。二度だ。深夜2時のお仏壇。オヤジが何をしているかは明白だった。胸に迫るような気分がいっきに湧いてきた。ビールを口に運ぶ。喉を鳴らす。はるちゃんも同じだったらしく、はにかむような顔で深く頷いていた。

……朝になったら、オイラたちもお婆ちゃんに報告しようね。

**********

「どうせ、11倍やろ? お父さん100円しか買(こ)ォとらんもん。しょっぱかたい。紙クズんなってしまっても全然良かたい」

予想は的中するも間違ったレースを購入して初勝利を逃したオヤジはやっぱりまあまあ悔しかったらしく、強がるようにそう言っていた。時刻は15時40分ほど。運命の3Rはすぐ目前まで迫っていた。

「問題は何を買うかだけど……。はるちゃんどう思う?」
「全部行っとけばいいんじゃない?」
「いや、全部はキツイぜ。6全全とかあるし。みんなの予想全部合わせたら50通りくらいになるんじゃねぇかな。意地でもガミると思うよ」
「全絡みを抜いたら?」
「ンー……。それでも多すぎるなぁ……」

みんなの予想と新聞。更には展示を確認しながらだんだん混乱してくるオイラ。やばい、予想が幅広すぎて絞りきれない。落ち着いて考える。まず今回の目的は「オヤジに勝って貰う事」なのでガミるのは極力避けたい。50点買いとかになるとそりゃ当たるだろうけど、流石に危ない。逆に絞りすぎて買い逃し「買ってたら当たってたのに」となるのも避けたい。予想してた人は「俺予想してたやんけ!」と思うはず。直接言わずともハートのインサイドでは絶対に思う。なぜならオイラだったら絶対思うから。

よし。では今一度全員の予想をみてみよう。

・あしの
1-26-26
6-1-全

・はるちゃん
1=2
2=6
1-25-56
2-5-6

・T師匠
1-2
1-6
1=23=6

・兄貴
2-61-61
3-1-5
6全全

・ないおさん
2-35-全

・フネスキンさん
1-236-23
3-126-126

・ナカキンくん
12-123-1236

・伊藤ひずみ先生
2-14-14

・岡井編集長
3-1-全

・武尊さん
1

「なるほどね。じゃあ……現実的なラインで見ていこう。まず1号艇山下選手逃げパターンだけど──」

これは簡単だ。はるちゃんの予想だけ5号艇山戸選手を入れてるけどそれは彼女が買えば良いのであって、他の予想人は全部236絡みだ。困るのは6号艇中嶋選手の扱いだけど、もしマクリにいくなら1着か2着。3着はこの際切ってもいい。したがって1-236-23の4点だ。

「次に2号艇池田選手の差しパターン……。これムズいなオイ……」

ないおさん、ひずみ先生、兄貴がこれに該当するけどそれぞれの予想がカパっと分かれてる。池田選手の差しが決まったあと、1号艇がどの位置にくるか。あとは4号艇吉田選手の扱いも厄介だ。

「よし、とりあえずここはオイラのジンクス通り、B2選手は切るぞ。そして差しが決まったら1号艇は外側に膨らんで舟群に沈むとセオリー通りに判断して山下選手の2着も捨てるぞ。というわけで2-35。3着は1と6でいきたい所だけど──でもこれないおさんが全に振ってんだよなぁ……」
「もうここまで来たらそこは全でいいんじゃない?」
「ンー……。分かった。2-35-全の8点で。これでいこう。ないおさんオナシャス! 次、3号艇を頭で──だけど、あ、これは結構みんな共通してるね」

3頭で予測してるのはうちの兄貴とフネスキンさん、そして岡井編集長だ。3人とも2着は1号艇山下選手と予測。したがって3-1までは購入確定だ。ならば次も3-1-全で良さげな気がするけども──。

「3頭で考えるとさ、平均STあんまり早くないから差しの形になるのかね……。内側からこう……ギュウンって抉り込むように差すとして、1号艇すっとばされるんじゃないのか。一点はちょっと頼りない気がするぞ……」
「フネスキンさんと岡井さんのハイブリッドでいいんじゃない? 3-126-全とか」
「何点だそれ……。ちょっと分かんねぇ。12点?」
「ええと……。12かな……?」
「ンー……。ちょっと削ろう。ジンクス通りB2選手は捨てて、3-126-1256でいこうか」
「それで9点かな」
「それでも9か……。いやぁ、削ろうやっぱ。5なし! 3-126-126で。6点! フネスキンさんオナシャス!」

最後、6頭の場合。中嶋選手はA2クラスで長崎所属。大村に慣れてる。平均STも良さげ。マクり差しの気配がビンビンに見える。流石に全全は厳しいけど、絞って6-1-全は買っといても良いだろう。というか自分の予想を一個くらい入れときたいんでここは購入。

「よし、決めた。6-1-全いくぞ。これで合計……22点! 流石に当たるだろうけど問題は倍率だな。オッズ21.9倍以下でトリガミか」
「山下選手からのはガミるかもね。3号艇田中選手からのは全部万舟よ」
「え、マジで」
「うん。本当に」
「おいマジかよ……! 熱いじゃないか。全然あるよこれ! ちょっと買ってくる!」

急いで券売機に向かうオイラ。何を買うかの判断に迷って時間がなかなかギリギリになってしまった。

ちなみにこのレースはオヤジも自費にて購入。1頭から堅く3点だ。何だかんだはるちゃんも自分で7点ほど購入し、これにて準備万端。いざ、レース開始だ。

「いやードキドキするなぁこれ。3頭きて欲しい。というかせめて当たって」
「流石に当たるんじゃない? よっぽどじゃなきゃ山下選手だと思うのよね」
「だよなぁ。ガミりそうだなぁ……」

例によって宇宙戦艦ヤマトのファンファーレが流れる。オヤジも固唾を呑んでレースを見守る。水面に反射する陽光が眩しいのか、目を細めていた。いよいよブルース・ウィリスに似てた。

「あらァ。また、よおけ(たくさん)買ったねぇ。幾らつかったと?」
「これ22点だね」
「これ、みんなで予想したっちゃろ?」
「うん。みんなでだよ。父ちゃんの為なんだぜ? 当てて喜ばそう! 美味い飯をご馳走しよう! ってさ」
「へぇ……。そりゃまた……。照れるたい」

そして、運命のレース開始。カーンと響くモーター音。6つの舟影が水面を駆けるッ! いざゆかんボートレーサーたちよ! 我に勝利を……! 美味いイカを……!

「うわ、山下選手きわどい!」
「2号艇もヤバいわよ! あれ……。ちょっとまって、今……。あれ?」
「よし、2号艇だ! 差したぞ! ほら! はるちゃん! これまあまあオッズが……ン。あれ、なんで失速してんの山下選手。ちょ。オイなんだこれ。なんで減速?」
「ひろし……。F出てる……」
「……へ?」
「山下選手、フライング……」

思わずはるちゃんと顔を見合わせて、すぐに手持ちの舟券に目を走らせた。2の差し想定は2-35-全。よかった1号艇は絡んでない。一瞬混乱したけど、もしかして逆に良いのかこれ。

「2着は誰だ。うわ、眩しくて見えねぇ! はるちゃん見える?」
「6号艇!」
「マジかよ! 外したかよ俺! 嘘だろ! ちょっと待って3と5は?」
「きわどいわよ! 今3号艇が3着!」
「おい! まだワンチャンある!!」

2-3-6のオッズは70倍。余裕でイカ食える。2-6-3だと外れだ。この2着争いは相当デカイ。1周2マーク。着順変わらず。2周1マーク。着順変わらず。というか更に2-6-3の形勢が固まる。そして最終周回。

「終わった……。2-6-3だ……。外した……」
「2号艇池田選手もコンマ01スタートだって。際どかったねぇ!」

ド本命のレースでのフライング。これは想定外だった。トリガミを心配してる場合じゃなかった。まさかの的中無しである。思わず頭を抱えた。

「へへ。わたし当てた」
「え! マジで。当てたの今の」
「うん。2連単だけどね。2-6」
「すげえな……!」

2-6のオッズは2.7倍。7点中フライングによる返還が400円。なので収支は-30円だ。気になるオイラの結果は22点中返還が1400円。マイナス800円だった。

1R
オイラ -400
はる -300

2R
オイラ -400
はる +720(1-6、1=3=6)
オヤジ 審議(幻の1-6-3、11.2倍)

3R
オイラ -800
はる -30(2-6)
オヤジ 0(全額返還)

恐るるべきは妻の的中率。最近2連単・3連複メインで予想してるらしいけど購入点数の少なさからして的中率がエグい。彼女だけなら余裕でプラスなのだけども……。

「ひろしが1600円マイナスで、わたしが390円プラス」
「すんませんホント……。あとは父ちゃんの幻の初勝利……。あれがちゃんと取れてれば流れもまた違ったのかもなァ」
「7R買ってたやつね。でもまだあれ確定前だし。もしかしたら当たるかもよ?」
「イカでも食いながら観戦しようぜ……。父ちゃん、そろそろ帰ろう。オイラの用事はこれにて終了だよ」
「おお。終わったとね。じゃあ──家に帰ろう」

とはいえ滅多に来ない長崎。しかも来るボートレース大村。その上家族三人。このメンツで来るのは結構な確度でこれが最初で最後だと思う。思い出に残すため、ちょっとゆっくり目の測度で場内を練り歩いてみた。

「ああ、蛭子能収さんのデザインボート……。そっか。蛭子さん長崎育ちなんだよね。ここでめっちゃボートやってたんだよなぁ……」
「『蛭子買い』もあるくらいだもんね。……どんな買い方だっけ?」
「なんかボックスめちゃくちゃ買うみたいな……ちなみに今日のレースは蛭子買いだと……。うわ、全部ハズれてら。ウケるぜ蛭子さん」

ボートレース発祥の地、ボートレース大村。歴史が古い場だけど、2015年に全面リニューアルが行われただけあって施設はピカピカだった。大村市民に愛されているのは知っていたけども、確かにこの日も沢山のボートレースファンが来場していた。折角なので本来ならボート飯のレポートもしたかったのだけど、あんまりオヤジを付き合わせるのも悪いので、次の旅でまたはるちゃんと来ようと思う。

さらば、ボートレース大村──……!

そして夜だ。オヤジを連れてイカを食べに出た。場所は佐世保市某所。直前に地上波の取材が入ってたので心配してたけど、やっぱり満席状態だった。万が一に備えて一応予約しておいて良かった。

これが例のイカだ。佐世保に帰る度に食ってるけども、めちゃくちゃ美味いのである。ゲソの部分はこの後天ぷらにしてくれる。オヤジも昔は良く来ていたけど最近はあんまり来てないとの事。久々の活造りに舌鼓を打っていた。

ちなみにオヤジが間違って買った7Rはカスりもせずにハズレだった。確定した瞬間、なぜか舟券を紙飛行機にするオヤジ。ちょっとおちゃめだったので写真撮っといた。ちなみに料金は全てオイラもち。当たり前だ。ボートには負けたけどもね。もとより覚悟の上さ。締めて2万ちょい。領収書はいただきます。

この時点で我々はかなり酔っ払っていたのだが、イカの店の後はオヤジが贔屓にしているスナックに付き合った。

「うちの息子と、奥さんたい」

そういって真っ赤な顔でママたちに我々を紹介するオヤジ。上機嫌でカラオケを歌って、思い出話をして。お酒を飲んで。飲んで──。

「楽しいねぇ……!」

カラオケを歌うオヤジを尻目に、はるがオイラに耳打ちした。オイラも頷いて、それからビールを飲んだ。36年前にこの街に来て、この家の子になって、3人きりだった家族はひとり欠け、それからひとり増えた。

「ひろしも歌わんね。カラオケ。はるさんは? 歌わん?」
「あ、じゃあわたし歌いますゥ!」
「歌いなさい歌いなさい。じゃあ、ママさん、ボトル入れようかねぇ──!」

……こうして、オイラと、妻と、そしてオヤジ。三人きりの夜は更けていったのだった。

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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