めおと舟 その35『来たる、引っ越し予定日!?』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。夫の職業がボトルネックになり肝心要の引っ越しそのものに暗雲が垂れこめるなか夫の実家である長崎への一時帰郷も終え、いよいよ予定日が近づくのだった。

膝の上で額の横──お耳の生え際あたりを指の先でコスコスするとピノコは大変気持ちよさそうに目を細めて顎を上げる。こちらもなんだか眠くなるようなその表情が面白くて良くやってるけども、妻にはあんまりピンとこないらしい。一方で妻は妻で愛猫のリラクゼーションポイントを別に知っていて、それは肩甲骨あたりの余った皮のところを揉みしだいてふにゃふにゃにするというものらしい。逆にそっちはオイラにピンとこない。

結果、オイラは耳の付け根を、妻は肩甲骨あたりを集中的に愛でる事になり、猫のくせになかなか賢いピノコは頭らへんが痒くなったらオイラの所へ。そして背中が痒くなったら妻の所へ近寄って「撫でれ」と言わんばかりの仕草をするようになった。

3月初旬。夕刻の時分だ。

座椅子に座った妻が例によってピノコの肩甲骨あたりを揉みつつ猫と同時にあくびをした。オイラはプレステのコントローラーを握って地球を防衛している真っ最中だ。アサルトライフルで巨大な蟻を粉々に粉砕する。オレンジ色の酸をローリングで回避し、蜘蛛の大群にロケットを打ち込む。ドゴーン、ドゴーンと派手な音が響く。

「ひろしは地球を防衛するのが好きねぇ」

はるが言った。オイラは頷く。

「そりゃ、誰かが防衛しなきゃ──」
「ずっとやってない? それ」
「いやぁ、これ全然面白くねぇんだけど、なんか癖になるんだよ……」

ピノコが妻の元を離れ、枕に頭を預けたツタンカーメンみたいなポーズでゲームするオイラの腹部あたりに飛び乗ってきた。

「オウッ。いま駄目ピノコ……! 地球防衛してるから……! ああ──……!」

画面には、一瞬動きを止めた兵士が横から突っ込んできた巨大なダンゴムシに轢かれて倒れる姿が映し出されていた。ゲームオーバー。一撃死だ。

「ああ……。もう、最後のウェーブだったのに……。コイツ最強の侵略生物だな。ピノコのせいで地球がヤバいよ、もう」
「へへ。ざまぁみろ! やったぜピノコ!」

コントローラーを手放し、かわりに両手の爪の先で耳の付け根あたりをコスコスする。顎を上げて目を細める猫。めちゃ可愛い。こいつが地球を滅ぼす凶悪な生命体だとは信じがたいぜ。長崎の実家から戻って数日後の事だった。慌ただしく過ぎた帰郷の余波も諸々落ち着き、今は平穏無事な日常のルーティンが戻ってきている。

「さて。地球の防衛にも飽きたな……。もういいやこれ……。何かドラマ観る?」
「NHKの大河ドラマ溜まってない? そろそろ消化しようよう」
「いやー……。今は違うかな。映画の気分」
「映画はわたしが違う。今は大河」
「間を取って何かバラエティ観る?」
「うーん……。それも違うねぇ」

結局、二人してイカを肴にハイボールを飲みながらボートをしつつ、だらっと過ごす事にした。平和極まりない日常だ。ボートレース多摩川、ルーキーシリーズ第5戦スカパー!第20回JLCカップの2日目4R。

「おっ。多摩川、宮之原選手出てるぜ」
「ホントだ。じゃこのレースにしよ」

オイラの予想は2を頭にして2-13-13。他のレースも数点買ってグラスを片手にディスプレイで実況を観る。どうやら便意を催してきたらしいピノコが走り回る。ウンコする直前とした直後、猫が走り回るというのをオイラはピノコで学んだ。

「あ、駄目だ。外した。木場選手のマクリ……」
「あ。わたし3-6獲った。わあ、結構ついてるよ。45倍」
「激アツ! すげえな。何で3号艇買ったし……。エスパーかよ」

曰く、木場選手がイケメンだったから、との事。数カ月ぶりに必殺の「イケメン買い」が炸裂していた。そのまま2時間ほどボートをしながらダラダラと過ごす。このラブアンドピースな感じがお互い性に合ってるけども、残念ながらそれもずっとは続かない。

「もう今月で終わりでしょ。今の部署」
「うん。4月の頭にすぐ異動」
「忙しくなるんでしょ?」
「うん。今よりはね」
「そっかァ……」

はるちゃんはこの春から仕事が変わる。まあ会社は変わらないのだけど、新規事業の立ち上げに伴い部署が異動になった。今まではノー残業・ノー休日出勤を金科玉条として鉄壁の定時退社ムーブをキメていたのだけども、今後はそうも行かないらしい。

「はぁ……。会社辞めたいなぁ」
「すいません、不甲斐ない夫で……」
「いえいえ。滅相もございません……」

独立から一年とちょっと。それなりに上手く立ち回って来たつもりだけども、点数でいうと30点くらいだ。それでもギリギリ食えてるだけマシな方で、世の中には半年持たずに出戻りする脱サラフリーランスが山程いる。自分だってうっかりするとすぐそうなる。ならなかったのは一重に友人や先輩や取引先のご愛顧あってこそだ。つまりラッキーマンなのである。

「そういえば、ひろしの仕事大丈夫?」
「……なにが?」
「コロナ」
「ああ……。うん。まあ影響ないと言えば嘘になるね」

嫁の仕事はインバウンドの減少により大打撃らしい。今の所は社員は時差出勤やテレワークで済んでるけども、この先も影響が続くようなら雇い止めや自宅待機の可能性もなくはないだろう。

「まー……。こういう時はしゃァないよ。言ったってどうにも──……」
「引っ越しどうしようか……」

引っ越し。実はこれを書いてる今日が予定日だった。この時点で部屋をキメていないという事はイコール、順延確定である。1Kの部屋。思わずぐるりと見渡した。走り回るピノコ。なんとかスペースを確保しようとして採用した壁掛けテレビ。カラーボックスの上にどうにか確保した妻用のドレッサースペース。キッチンには猫用の巨大なケージ。3つの生き物が共生するのにはあまりにも狭すぎるスペース。ハァ、とため息が出た。早く引っ越したいのは山々なのだけど──。

「コロナがなくても、結局オイラがオーナー審査とか諸々通らないから無理だよ」
「いつにする?」
「いつがいい?」
「ひろしが決めていいわよ」
「開業届けを出したのが去年の7月11日だから……。それで丸一年だよなぁ。それで通るのかね審査」
「うーん……。わたしにはちょっと分からないよ」
「今よりマシな扱いになると思うよ。今ほとんど無職と同じ扱いらしいから。どっちにしろオイラ名義で越すなら待つしかねぇよなぁ……。それから引っ越しのためだけにどっかの会社に籍を置くとかそういう裏技もなきにしも非ずだけども、それだって在籍してすぐだと駄目だろうし」
「じゃあ、結構先になるねぇ……」
「なるだろうね。しゃあないよ……」

独立。会社に所属した頃は一刻も早く辞めたいと思いつつ、基本的にチキンなのである程度の準備を済ませてから去ったつもりだった。万端とは言わないまでも、後悔することがないよう。ヨシ! と指差し確認をしてから飛び立った気でいた。しかし今、一年半前のオイラにちょっと言ってあげたいアドバイスがある。

「引っ越し済ませてから辞めりゃよかったなぁ……」
「ごめんね。わたしもあの時引っ越しを止めたもんね。現金の方が大事だって」
「いいや。あの時引っ越ししてたら結局途中でヤバかったもん。仕方ないよ」
「次のタイミングで……。もう反対しないから、サクッと引っ越そ。ね?」
「うん──……。そうしよ……」

はぁ、と二人してため息を吐く。嫁がハイボールを作ってくれた。口に運ぶ。イカの味。七味が効いていて美味い。酒が進む。

「ああ──」

ピノコが膝に乗ってきた。耳の横を爪先で掻いてあげる。顎を上げて目を細める。クルルルと、小さく喉が鳴る音がした。

「ボートで200万くらい当たらねぇかなぁ──……」

 

──引っ越し予定日まで-7日

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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