めおと舟 その48『引っ越しまでのディスタンス part3』

連載
めおと舟

 

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。順調にハマる夫婦だったが肝心の引っ越しに関しては夫の職業がボトルネックになり暗雲が垂れこめる。さらに本格的なコロナ禍が世界に到来する中で妻は転職。なんと1Kの自宅にて夫婦二人での在宅勤務が始まった。

ある日の午後だ。休憩がてらベッドに寝っ転がりスマホを弄っていたオイラは、画面に表示されたとある情報を見て思わず声を上げた。上半身を起こして、今度はもう少し真剣に眺める。うむ。これはいい。いけそうだ。

「はるちゃん!」
「どうした?」
「ちょっとこれ見て!」
「なに、ボート?」
「違う違う──……」

オイラが見つけたのは「不動産情報」だった。引っ越しは常々考えているので定期的に不動産サイトを観たり知り合いに聞いたりしてるのだけども、やっぱり目新しい情報というのはそんなに頻繁に出てくるわけじゃない。体感的に週1か2くらいで見たことない物件が出てきて、その中で条件に合致するものとなると本当に一握りになる。

その時オイラが見つけたのは国道沿いにあるマンションだった。今の場所から徒歩二分ほど。住所的には殆ど変わらないが、信号を渡らなくて良くなる関係上、駅もスーパーもパチ屋も近くなる。家賃も想定の範囲内どころか激安で、さらに敷礼無し。これは凄い。

「なにこれ! すごい。……何かあった部屋?」
「な。そう思っちゃうよね。心理的瑕疵物件。まあ別に大歓迎だけどそんなん」
「いやよ! 怖いわよ」
「全然怖くないよ。居たとしたら逆に嬉しいね。お婆ちゃんに会えるから……」
「いい話にしないで!」

とりあえずアプリ上から内覧希望のメールを入れると、数分後にはすぐ電話が掛かってきた。物件情報を改めて確認しつつ、オイラとはるちゃんそして担当者のスケジュールをすり合わせた結果、翌日の午前には早くも実際に部屋に入れる算段がついた。

「これ、マジで情報通りの部屋だったらすぐ引っ越そうぜ!」
「そうね! 写真見た感じ良さそうだし、間取りもいい。ちょっと狭そうだけど」
「まあ部屋が一個増えるだけでも全然いいよね」
「うん。いいと思う!」
「ああ、楽しみだなぁ……!」
「楽しみだねぇ……!」

……そして、翌日。

物件前で待ち合わせした担当者さんは営業マン然とした爽やかなお兄さんだった。お互いにお辞儀をしたあと、名刺を交換する。

「……ああ、フリーライターさん、ですか」
「ウイッス。そうです」

笑顔で「なるほど、そうですか」と返すお兄さん。何を考えているか手に取るように分かったので予め用意していた答えをぶっ放す。

「ああ、大丈夫です。開業届出して、先日確定申告してます」
「そうなんですね。わかりました。売上にもよりますけども、それでしたらあとはもうオーナーさんの判断になると思います」

前回別の不動産屋さんに相談したときは完全に袖にされた格好で話にもならなかったものだけども、それに比べると全然違った。やっぱ開業してすぐだとそもそも審査対象にすらならないという情報はホントだったらしい。設立年度を跨ぐのは最低条件なのだ。はるちゃんの方を向いてマスク越しに「ね?」と言うと、妻も笑顔で頷いてくれた。

「わあ! エントランスきれいですね……!」
「まだ新しい建物ですからね。こちらの物件は宅配ボックスがあるんですよ」
「ああ、嬉しい……!」

はるちゃんが喜ぶ横で、お兄さんに向けて注釈を入れた。

「はは。妻はね、通販魔なんですよ。受け取るのはオイラで──毎日通販で買った物が届くから、この頃は宅配業者の人の顔どころか、シフトまで覚えちゃいました」
「もう! へんな事言わないでひろし」
「おっと。これは言い過ぎか。ははは」
「へへ。でも宅配ボックスがあるなら、もうピンポンに応えなくてもよくなるね」
「そうだね。そう思うと少しさびしくなるなぁ」

ははは、と笑いながらエレベーターに乗り込む。

「すごい。芳香剤が置いてある」
「いい匂い……! ウチのマンションと偉い違いね!」
「な。聞いてくださいよお兄さん。うちのマンション、ボタンにハナクソがなすりつけてあって──」
「あれ絶対民泊の人よね」
「うん。自分が住んでるマンションのエレベーターにハナクソをなすりつけようとする人なんか居ないからね。民泊だと思うよ」
「芳香剤とハナクソ……。すごい違いよねェ」
「ああ、全然違うぜェ……。いい匂いだねェ。……だいたいウチのマンションのエレベーター、めちゃくちゃニンニクくせぇんだよな。あれ何なんだろうねぇ」
「あれも多分民泊の人だと思う」
「マジでふざけんなよな民泊の人……」
「何かエレベーターの内側の壁材みたいなのも毎回めくれてるよね。あれ誰がやってるのかなぁ」
「まあアレも民泊の──……」

などと話してる間にいよいよ目的の部屋到着。真新しいドアをくぐると……!

「キレイ! いい玄関ね!」
「だな……! これなら問題ないんじゃない?」
「あはは。ひろし気が早いよう。まだ玄関しか見てないよう」
「へへ。そうだな。お兄さん、上がっちゃっていいですか?」

お兄さんが差し出してくれた使い捨て紙スリッパを履き、三和土を上がる。玄関の脇にはすりガラス付きのドアが据え付けられ、間取り上はその向こうがキッチンになっていた。筈だった……が。

「あれ、違った。ン。でもシンクあるな……。これ、なんの部屋ですかね」

「キッチンです」と答えるお兄さん。笑顔のまま首を傾げるオイラ。妻の頭上にも「?」マークが浮かんでいた。お兄さんが言う所のキッチンらしき場所はオイラの目測では2畳くらいのスペースだった。一個口のガスコンロはIHになっており、その横にシンク。野菜切るスペースとかは見当たらない。間取り上はたしか4.5畳だったはずだけども、狭さの原因はすぐ分かった。部屋の一画を不自然にえぐるようにL字型にせり出した壁だ。

「この壁……。いります?」
「いやぁ……。こういう間取りでして」
「この、凹んだ所はなんですかね」
「これは、冷蔵庫置く所ですね」
「ちっちゃくね……?」

まあいい。気を取り直して次の部屋へ。図面によると6畳の部屋。北側に窓があり、左手に風呂とトイレがある。扉を開けて進むと……。

「狭くね? これ6畳あります……?」
「ありますね。これ6畳です」
「6畳ってこんな狭いの……」

これまた狭く感じる原因はすぐ分かった。部屋と部屋をドアで区切ってるからだ。試しに今しがた通ってきたキッチンの扉を開放すると、だいぶマシに感じられるようになった。が、狭い。そして北側に穿たれた窓の向こうはすぐ別の建物になっていて、実質採光はゼロの状態だ。

「うーん。なるほど……。安いには安い理由があるって事だなぁ」
「しょうがないね。次の部屋見に行こ」
「うん──」

つぎがはるちゃんの部屋兼寝室だ。ここもドアで区切られているのでそれを開けて中に入る。こちらは西向きの大きなサッシがついていてそこから桜の木が観える。浅草のランドマークも一望できるし、かなり良さそうにみえた。

が、明らかに狭かった。というか狭すぎた。これまた狭さの原因は明らかで、部屋が正方形でも長方形でもないからだ。配管か配線か、あるいは鉄骨が入ってるのか、部屋の一部がへこんで凹状になっている。よく見ると図面でもそうなっているのだけども、実際に見るとこの形は如何にも使い勝手が悪そうだ。そもそもこれ、置けるのか? ベッド。

「これ、ベッド置けんくないスか」
「いやぁ……。まあなんとか置けなくはないですね」
「はるちゃん、これどう? はる……?」

見ると、はるちゃんはすでにチベットスナギツネみたいな顔になってた。妻がこの顔になるときはすでに対象に対しての興味がゼロになっている時だ。

「ひろし、唐揚げ買って帰らない?」
「ちょっとまって。はるちゃん。唐揚げちょっと待って。他の所確認しよ。な」
「……うん」

トイレは最新式のウォシュレット付き。そして風呂は異様に広かった。ラブホテル並である。他の部屋がいい感じで、その上にこのラブホ風呂がアドオンされているのならばワッショイ感があるが、逆だと何か嫌味に感じる。風呂の分の土地を寝室にくれと思った。

だが。とりあえずこの部屋の問題点は「クソ狭い」という事だけだ。その他の条件はぶっちゃけ良い。なんせ家賃が安いし敷礼なし。しかも立地がめちゃくちゃいい。これで今とあんまり変わらん程度の家賃ならば、一旦引っ越すのもありっちゃあり。

(どうする? はるちゃん)
(うーん。唐揚げ食べ行こ?)

だめだ。妻の心はすでにこの物件にはない。

「お兄さん、実はですね、正直に言うとオイラたちはこの狭さがちょっと気になってるんですよ。この建物で別の間取りのやつとかないですか?」
「あ。ありますよ」
「マジで!?」
「ひとつ上の階ですね。資料持ってきてます」
「ヒョーゥ! さすがプロ! ありがとうございます!」

ひとつ上の階の部屋は、坪数がそもそも違った。間取りを見るまでもなく広い。というか部屋数が一個多い。これなら余裕で住める。とテンションが上ったが、家賃がバカ高かった。

「えー……。一気に倍以上……!」
「あ、これはですね。管理費込みになってまして。高く見えるんですね」
「あー、管理費……。あれ? この部屋って管理費込みっすよね?」
「いや、別ですね」

資料を見ると、家賃の横にカッコ付きで◯万円と書いてある。つまり、実際の家賃はプラス◯万だ。

「うそん。これ◯万円が別にかかるって事ですか?」
「はい」
「ええとこの……上の階の管理費は?」
「5,000円ですね」
「で、そっちは込みで書いてると」
「そうですね」
「……ごめんなさい。オイラには理解ができない」
「あ、これは良くある手法なんですけども、つまり諸々の初期費用って家賃をベースに考えるんですよ」
「はい」
「だから、家賃を下げてその分管理費にしとけば、お得に入居できるんですね」
「ええ」
「要するに、これはオーナーさんのご厚意といいますか──」

言ってる事は大変良くわかる。が、浅草の他の、同程度のクラスの賃貸物件で管理費◯万なんて聞いたことがない。だいたい5000円以下。たまに新築に近い物件で1万とかのもあるけども、◯万は流石に見たことない。つまり、家賃を可能な限り下げて建物事態を目立たせるための「釣り物件」なのだ。だのでオーナーとしても、そして不動産屋さんとしても「こんな部屋入るわけない」と思ってるし、だからこそ適正価格の別の部屋の資料もきっちり持参してるわけだ。

「なるほどなぁ……。勉強になりました」
「いえいえ、こちらこそ──。見に行きます? 上の部屋」
「ああ──……」

ここへきて、オイラの顔もようやくチベットスナギツネになった。はるちゃんもチベットスナギツネ。なんなら、不動産さんもチベットスナギツネ。

その日の唐揚げは、なんだかしょっぱい味がした。

……引っ越しまであと-91日

と、久々の引っ越し日カウントももはやマイナス3桁に突入せんばかり。やれやれだぜ。

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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