めおと舟 その50『引っ越し舟 前編』

連載
めおと舟

前回までのあらすじ──。
『ボートレースで一発ブチ当てて引っ越せばいいじゃない』という妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。順調にハマる夫婦だったが肝心の引っ越しに関しては夫の職業がボトルネックになり暗雲が垂れこめる。さらに本格的なコロナ禍が世界に到来する中で妻は転職。なんと1Kの自宅にて夫婦二人での在宅勤務が始まった。

「おお……! 広い……!」

不動産屋さんに案内されて入った部屋は、玄関からして既に今までみたどの物件よりも良かった。

「ここは前の住人さんも事務所で使ってらっしゃったので、在宅ワークの方にはうってつけだと思います」

浅草のど真ん中寄り。2DKの物件だ。立地も問題ないし広さも充分。何より家賃が相場よりかなり安かった。

「探せばあるんだなぁこういう物件……」
「結構探されてたんですか?」
「いやぁもう四年くらい見てますけども、ピンと来る部屋がホントになくて」
「タイミングとかもありますからねぇ……」

今までオイラはインターネットを介した物件情報収集を行なっていた。内覧まで行く事はあってもいわゆる「釣り物件」的な物が多くて心が折れかけていたけども、ある時ふと気づいた。浅草にはこれだけ沢山の物件があるのに、ネット上に出てる情報が少なすぎないか? 絶対もっと空き物件はあるはずなのだけど、みんなどこで探してるんだ。ははぁん、さては昔からある地元の不動産屋さんだな? と(今更)。

んで意を決して近所の不動産屋さんでチェーンやフランチャイジーじゃなさそうな、昔からやってる感じのところに飛び込んだ結果、その日のうちにすげえいい物件を2つ内覧させてもらう事になったわけだ。このフットワークの軽快さは今までの常識では考えられない。

「いやぁ、ここはマジでいいわ……。ちょっと嫁さん連れてきていいですか?」
「奥様もこの近くにいらっしゃる感じですか?」
「あ、家で仕事してるんですけども、もうすぐそこなんで──」

LINEの通話ですぐにはるちゃんを呼び出す。いい物件が見つかったぞい、という言葉に最初は半信半疑だった妻も、10分程して実際にやってきてその目で見ると笑顔になった。

「ほんとだ。ここ良いわね……!」
「だろ? しかも家賃もホラ……コレ」
「安ッ! えー! 管理費込み?」
「込み。すげー良くない?」
「良いと思う……!」

クリーニング済の部屋の中心に立って、もう一度ぐるりと周りを見渡す。

「ここにしない? 何かもう急転直下で申し訳ないけども」

それで決まりだった。その場で担当の不動産屋さんに契約の意思がある事を告げ、諸々の段取りを決める。その間にはるちゃんが部屋の写真をパシャパシャと撮影したりモノサシアプリで色んな所を測ったりしながらベッドの位置や冷蔵庫の位置などをどんどん決めて行く。今まで停滞していた鬱憤を晴らすかの如く、何もかもが鬼速で決まっていった。

「ピノコのケージはどこに置こう?」
「そうだな……。やっぱそっちのダイニングの所じゃない?」
「ああ、あの壁際の」
「うん。多分そこがしっくりくると思うんだけども」

ちょっと待って下さい。

猫の部屋をどこにするか話し合ってる所で、不動産屋さんが話にカットインしてきた。マスクの上の目は笑っていたけども、声のトーンが先程より若干低い。

「もしかして、猫ちゃん居ます?」
「あ、そうです。すいません言い忘れてて」
「ここ、ペット不可なんですよ……」
「な、何ぃ!? ウソん! あいたー! マジで。うわぁ……イタタタ」
「うそでしょひろし、最初に言わなかったの? えー、バカなの?」

はるちゃんが「マジかお前」みたいな顔で口撃してくるのに平謝りしつつ、不動産屋さんに向き直る。

「うわぁやっちまった。すいません不動産屋さん。なんて基本的な失敗を……」
「あー、いえいえ。全然こちらは……。あのぉ、このお部屋気に入られてますよね。もしよければ私の方で、大家さんと交渉してみましょうか?」
「交渉……! できるんですか!」
「絶対とは言えませんし、条件も色々付くと思うんですけども、交渉する余地はあるかもしれません」
「マジか! ちょっとお願いしていいですか……? オナシャス!」

夫婦揃って最敬礼せんばかりの勢いで頭を下げる。

と、数日後に返事が来た。結果はOK。ただし敷金が上乗せされ、さらに「特約」と言って諸々条件が付き、そして二年間の定期契約という形になった。つまり、とりあえず猫を許すけどもそれで問題があったら契約更新には応じませんよ、というものだ。最悪家賃の上乗せもありえる話だったけどそれは無く。つまりは「猫ちゃん全然オーケー」な内容だった。

「おお……。マジか。良いんか猫。これ、どうするはるちゃん」
「どうするもなにも、これはもうゴーでしょう」
「ゴーだよな?」
「ゴーだと思う」
「んじゃもうこれゴーしとく?」
「……うん! しとこう!」
「よっしゃ! ゴー!!」

 というわけで、2020年6月某日。あしの夫婦、引っ越し決定! だ。

「敷金と二年後の再契約手数料……。すごいなピノコ。お前のお陰でめちゃくちゃお金掛かったなぁ……」
「ホミャーン……!」

6年住んだ浅草の部屋。思い返せば色々な事があった。ピノコをお腹に乗せたままベッドに寝っ転がり、その顔をこねる。すぐ手を伸ばせば届く所にはるちゃんが居て、ワインを飲みながら頷いた。

「でもお金出せばピノコが居ても大丈夫っていうのは、考えようによっちゃものすごくラッキーだったわね」
「だろ? だって最初に『ペット居るンス』みたいな事言ってたらその時点で対象外だった物件だったからなあそこ。ホラ、凄くないオイラ。すごい計略よこれ。諸葛孔明かって。諸葛孔明かって。な?」
「ンー。まあ瓢箪から駒というか……。結果的にはお手柄だわよね」
「ホミャーン……!」
「ねぇねぇはるちゃん。引っ越しするならさ、荷物減らさないといけないから、ピノコのおやつも消費しとこうよ」
「あ、ちゅーる? あげようか。食べる? ピノコ。ちゅーる食べる? ん?」
「ホミャーン……! ホミャーン……!」

はるちゃんの膝に飛び乗るピノコ。一心不乱におやつを舐め取るその様子を眺めながら、オイラは小さく満足した。

──引っ越し契約完了まで、あと7日!

 

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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