めおと舟 その62『人間ボートレース』

連載
めおと舟

前回までのあらすじ──。
妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。当初の目的である引っ越しを終え、次なる目標は『楽しみながら勝つ事』。夫婦合算で年間収支プラス30万円を目指し始めた。タイムリミットは年末。果たして結果は……?

1990年代にSFやエンタメの世界で使われ始めた言葉に「カオス理論」というのがある。

ざっくり説明すると「ちょっとしたことが結果に予測不可能な影響を及ぼす」というもので、いわゆる「因果律(与えられた原因は必ず結果として現れる)」とは似てるようでもむしろ逆の考え方だ。

因果律に関しては「入力」と「出力」がちゃんと対応してて、状態や数、あるいは量が法則どおりに変化する。当然「数学」や「力学」は全部これに則っている。というか則ってないと何も計算できないし、1+1が電卓を叩くたびに3になったり7になったりしたら大変にマズい事になるわけで。当然といえば当然。

一方、「カオス理論」は因果律の範疇から外れて「予測不可能なランダム性」というのを定義する理論だ。この説明でよく使われるのが「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐になる」というもの。いわゆる「バタフライ・エフェクト」だけども、これをエンタメにいち早く取り入れたのがアメリカの大作家、故マイクル・クライトン先生だ。オイラもマイクル先生は大好きで学生時代に貪るように読んでたけども、確か発売直後に読んだ『ジュラシックパーク』で初めて知ったのがその「カオス理論」という言葉だった。

ジュラシックパークを知らん人のために説明すると、DNAから複製した恐竜たちを見世物にするパークを舞台にしたバイオ・パニック系の話だった。スピルバーグが撮った映画は「どうだ俺がCGで再現した恐竜は」みたいな如何にもハリウッドな感じだけども、原作はもうちょい科学ホラー寄りで、完璧にスキ無く徹底管理されてるはずのパークがなんで簡単に崩壊するのか、というのを「カオス理論」の観点から淡々の描写してる感じ。この辺のシビアさがいかにもマイクル先生っぽくて最初読んだ時シビれたもんだけども、それと同時に「カオス理論ってエンタメとの相性めちゃくちゃいいな」と思ったのを覚えてる。

その後、カオス理論はいろんな作品に登場した。

『バタフライエフェクト』なんかタイトルからそのまんまだし、『スライディングドア』『ジャケット』『ミスター・ノーバディ』なんかもそう。あとは『シュタインズ・ゲート』もだね。てかこの辺は数え上げたらたぶんキリがネェ。

北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐になる──。

我が家では今、これに近いことが起きてる。つまり、コロナの影響で我が家に棲息する全ての生き物が太ったのである。オイラも、はるちゃんも、そしてピノコも。原因は分からん。全く分からん。おそらくカオス理論のせいだと思う。

「……単に運動してないからでしょ」

ヨガマットに両手両膝をついて、猫だかヒョウだかのポーズで背中を反らしながらはるちゃんが言った。

「いやー、カオス理論のせいだと思うんだよなぁ」
「違うわよ。運動不足よ」
「まあ、オイラも散歩しなくなったし、はるちゃんもテレワークだし……。それは分かるんだけども、なんかピノコまで太ってない?」
「……たしかに。ちょっと太ってるねぇ」

キャットタワーの最上階にモスっと座り、睥睨するように人間を見下ろす猫。ご飯の量も増えてないし、運動量はむしろ増えてる。でも何故か太ってる。

「ピノコだけはカオス……」
「カオスにゃんちこねぇ! 丸々なっとるねぇ! あんたバフンウニさんね! かわいいねぇ!」

キャッキャッと笑いながらヨガに余念がないはるちゃん。この数ヶ月の怠惰が呼び寄せた贅肉が朝晩のヨガ程度ではそげぬ事は彼女も充分に承知である。ゆえにこの所いよいよ食事を減らし始めたようだった。荒ぶる鷹のポーズみたいな格好のはるちゃんを眺めながら、オイラは自分の腹の肉をつまんでみた。ちょっと前までちょうどよい腹筋だったのに、今では2センチくらいの脂肪がついてる。たった半年家に引きこもってる間にだ。流石にこれは健康に悪い気がした。

ちょっとだけ天井を見て、そしてはるちゃんを見て、それからピノコを見た。新型コロナが流行ると、あしの家の生き物が太る。バタフライエフェクトだ。

「よし、はるちゃん。散歩いこう。有酸素運動」
「……どこまで」
「わからん。でもひたすら長く。御茶ノ水か……神田くらいまで」
「ンー……。痩せる?」
「痩せると思う」
「日焼けしちゃう」
「夕方からいこうぜ」
「うーん……。わかった」

翌日の夕刻。Tシャツとパンツ姿にスニーカー姿の我々は勢いこんで家を出た。そのまま国際通りをまっすぐ浅草橋方面へ向かう。通常よりもちょっとだけ歩幅を狭く心持ちゆっくりと歩くオイラ。はるちゃんが腿をあげて腕を振り、運動量を稼ぎながら続く。

我が家から目的の神田までは徒歩で約1時間ほど。往復2時間の冒険だ。日中だとちょっとキツい距離だけど、秋口に入って朝夕の気温がかなり下がりウォーキングに適した空気になっていたのであんまり大したことない。そもそもオイラは「趣味は散歩」と胸を張って言える程度には歩くのが好きだ。秋葉原で働いてた頃は毎日40分かけてわざわざ歩いて出勤してたし、仕事に煮詰まってる時とかアイデア出しがしたい時なんかは、下手したら浅草から新宿とかまで歩く。故に浅草神田間程度は遠出のうちにも入らないし、気候がウォーキングに適したものであるなら余裕も余裕。楽勝パンチである。

国際通りを右折してかっぱ橋商店街へ。なんとなく、内側のはるちゃんとコーナーの隙間をつくようにして前に出てみた。

「おーっと、あしの選手の差しが決まった……!」
「あ! なんで差したの今! ずるい!」

腕をブンブン振りながら歩くはるちゃんがフンクと下唇を噛む。へへへと笑いながら一歩先に出たオイラはそのままはるちゃんの前に陣取る。

「はるちゃん選手が引波にはまったー!」
「なんで引波にはめるの! フンク!」

はるちゃんがオイラの右後方に移動し船速を上げる。そのままモーターを唸らせながら横に並んできた。そして幅寄せしながらオイラの肩にドンと身体をぶつける。

「ちょ! ダンプ(体当たり)!」
「へへ。ダンプしたった……」

かっぱ橋商店街の出口あたり。そのまま台東区役所方面に向けての曲がり角がやってきた。ただいま先頭は僅かにあしの選手。後方から差しに構えるはるちゃんを妨害するようにイン側に寄せてクイックにターンする。……が、大外から速度を上げて小走りで前にツケたはるちゃんがいっきに先頭に躍り出る。そのままオイラの目前ギリギリを進む。コレは……。

「ツケマイか……! まさか。ツケマイしたのか今!」
「マクってツケマイしたった……! どうだまいったか!」
「くそォ! まけんぞ……!」

その後も、曲がり角がくるたびに先に舞おうとして激しくダンプしたり小走りして無理やりマクッたり、あるいはバックストレッチの攻防と称して直線で速歩きしたりと。気づいたらめちゃくちゃ疲れた次第。なんだかんだ神田どころか上野駅でギブだった。

「ハァ。ハァ。疲れた。これもう無理だわ。こっから引き返そう……」
「そ、そうね。最後のほうほとんど競歩だったわね……」

ちょっとだけその場で休憩して、上野駅のロータリーで引き返して、ちょっとゆっくり帰る事にした。

「なかなか面白いな人間ボートレース……」
「疲れるけどね……。帰りはまったりいきましょう」
「そうだね……」

言いながら、曲がり角で差しを入れるオイラ。抜かれたはるちゃんはまたフンクと下唇を噛んで速度を上げた。

ボートしかり。なんだってそうだと思うけども、夫婦共通の趣味というのがあると、それが生活を侵食するというか、全く関係ない事をしてる最中でもふとしたきっかけでそれがひょいと姿を現す事がある。ゼイゼイと肩で息をしながらようやく家に帰ったオイラとはるちゃん。ベッドルームの床に座り込みながら、オイラはふと思った。

ボートレースにハマると、散歩がヘビーなスポーツになる。流石に予想できなかったこの変化もまた、カオス理論なんだろう。

(今週は1Rしか実戦してないので収支報告は翌週と合算! シャス!)

 

(挿絵:武尊)

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

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