めおと舟 その70『吾輩はピノコである』

連載
めおと舟

前回までのあらすじ──。
妻の言葉から唐突に始まった夫婦共通の趣味・ボートレース。当初の目的である引っ越しを終え、次なる目標は『楽しみながら勝つ事』。夫婦合算で年間収支プラス30万円を目指し始めた。タイムリミットは年末。果たして結果は……?

吾輩は猫である。名前はまだ無い。と言いたい所だけど、ピノコである。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。なんでも暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた所を、保護猫の施設にしょっ引かれたらしい。しばらくはそこで出来た義理の兄弟姉妹たちとカリカリを食べて楽しく暮らしていたのだが、ある時、東京から来た人間の夫婦に引き取られる事になった。旦那の方はしきりにテケリーという名に拘っていたようだが、結局は奥方が決めたピノコという名になった。どうやらこの夫婦は、奥方の方が権力を持っているようだ。それから、もう丸3年が経った。

この夏に越してきた新しい棲家は以前に比べて格段に広い。犬と違い、元来家猫には散歩は不要なのであるが、それでも有事に備えて少しは鍛えておいても損はないので、新たな住まいでは時折、丸めたレシートなどを獲物に見立て狩りの練習がてら走り回る事にしている。床に爪を食い込ませ、居合の要領で力をため、勢い良く駆ける。獰猛な唸り声を上げ目標に伸し掛かり、身動きが取れぬよう鋼のような爪で押さえつけ、必殺の牙を頸に突き立てる。この部屋で吾輩は最強の生き物だ。誰も吾輩の征く道の邪魔は出来ないし、その自由意志を阻む事は出来ない。

ひとしきりレシート相手の狩りを楽しんたあとは、お気に入りの紐を求めて部屋を物色する。朱い紐。橙の紐。碧い紐。中でも吾輩が好むのは黒い紐なのだが、それは奥方が意地悪してどこかに隠してしまう。どうしてそんな事をするのかとんと理解ができぬが、吾輩くらいになるとそれをすぐに見つけてしまう。少々面倒だが、人間の浅知恵に付き合ってやるのもまた、家猫の大事な仕事なのである。蛇に見立てた黒い紐。喉笛に牙を立てて引きずる。走る。蹂躙する。とどめを刺す。どうだ。まいったか。狩りのやり方を教えてやる為に、旦那の足元にポトリと落とす。人間よ、蛇はこうやって狩るのだぞ。胸を反らして称賛を待つと、何を勘違いしたのか旦那は吾輩の首根っこから背中から腹から、とにかくくしゃくしゃに撫でてきた。大変に不快なので噛んでやった。ざまあ見ろだ可哀想な人間め。その手はもう使い物にならないだろう。吾輩に無礼を働くとそうなるのだ──!

「あーもー、締切近いのに、ピノコうるさいなぁ……」
「何暴れてんの……。あ! また紐出してきてる」
「この紐、オイラのジャージの腰紐だよな……?」
「そう。ひろし、紐すぐに引っこ抜くんだもん……」
「いや、オイラちゃんとくびれあるから腰紐要らないんだよ。邪魔なだけでさぁ……」
「ちょっとピノコ、いまパパとママ、お仕事でテンパってるから、ちょっとあっちに行きましょうねぇ……」

何を云ってるか人間の言葉は分からぬが、奥方が椅子から立ち上がるや我輩を捕縛せんと近づいてきた。無論、のろまな人間に捕まる家猫族など存在しない。い草に爪を立て、肉球をきしませてその場で踵を返す。キッチンの奥に向けて疾走るや、追いかけてきた奥方に向かって乾坤一擲、渾身の迎撃体制を取る。どうだ。これで手が出せまい。全身に内蔵された凶器の全てが自由になる、恐るべき姿勢。もし吾輩に触れたら、両手足の爪と牙が同時に襲いかかるだろう。

「なんでピノコ。なんでコテンするのぉ。馬鹿ちゃんねぇ。野生で生きて行けんよぉそれ……。お腹ガブされるよぉ……」
「なに、またコテンしてるの?」
(ゴツン! ゴツン!)
「うん。あ、何か頭ゴツンゴツンしてる。だめだめだめ。頭ごつんこしたらダメよぉ。もっとアホになるでしょうが……!」
(ゴツン! ゴツン!)

床に頭を打ち付ける。これは吾輩が編み出した最強の威嚇行動だ。事実、夫婦はこれを見ると必死にやめさせようと、頭と床の間に自らの手を入れてくる。よっぽど恐ろしいらしい。

「ほら、もうピノコ、こっちおいで。いたたた。なんで噛むのぉ……。馬鹿ねぇピノコ。甘噛みにゃんちこねぇ。はいゴロゴロゴロ」

馬鹿め、もうその大怪我では日常生活もままならぬだろう。旦那に続き、奥方までも再起不能にしてしまうとは。吾輩の牙のなんと恐ろしいことか。勝利の余韻に浸りながら、奥方にその場で転がされる。どうやら攻撃のつもりらしい。可愛いものだ。所詮人間族に出来るのは精一杯これくらいなのだろう。

「はいゴロゴロ。ゴロゴロ」
「よし、こっちの仕事、ちょっと終わりが見えてきた。ついでにはるちゃん、コーヒー淹れてくれない?」
「いいよー。砂糖どうする? 甘? 甘々?」
「甘々でー。ちょっと薄めに作って」
「はーい……。じゃあ、ちょっとピノコ持ってて」
「あいよ。おいでピノコ。はーい目くそ取ろうねぇピノコ。あー、目くそいっぱいねぇ! 可愛いねぇ!」

旦那が吾輩の目の横を撫でる。最初は不快だったが、どうやらこれは吾輩の目に入りそうな芥を排除しているらしい。奥方も同じように、時折耳の掃除をする。なにゆえそんな事をするのか意図は読めぬが、人間族とはそういうものなのかも知れない。

「あら、なんかピノコちょっと臭いぞ……。ちょっと肛門見せてみ……。あ! 何か髪の毛でてるよ!」
「うそん。見せて見せて。……ホントだ! お尻から髪の毛でてる!」
「ウケる! 馬鹿ねぇピノコ! ずっとぶら下げとったの! あんたお尻から髪の毛ぶらさげとったの!」
「どっちの髪の毛だろう。ひろしのかな?」
「微妙にパーマかかってる気がするぜ。はるちゃんのじゃない?」
「わたしかぁ。こまめに掃除してるのになぁ……。ちょっとピノコ、引っ張るから我慢してね」
「これ、引っ張っていいのかね?」
「分かんない……。調べてみる?」
「うん。ええと、猫、肛門、髪の毛……っと。ああ、何の情報もねぇな」
「うーん……。ちょっと引っ張って、痛そうだったら辞めよう。いくわよ……。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり……」
「ホミャーン!」
「あ、ホミャーンいいよる。これはダメだな。辞めとこ。次のうんこで一緒に出るだろう」
「うん……。そうね」

何を言ってるか全く分からぬが、人間と暮らしてて辛抱ならない事が1つだけある。それが、吾輩の尻を拭こう拭こうとする事だ。今も何やら尻がムズムズする感じがしたので、恐らくなにやら意地悪をしようとしたのだろう。そういう時、吾輩は獰猛な雄叫びを上げる。そうすると、この夫婦はそれ以上の失敬を働こうとしないのだ。

「ンー。やっぱ、もうちょっとだけ引っ張ろう。なんかその辺に落とされてもやだし……。ゆっくり……ゆっくり……」
「ホミャーン!」
「ああ、だめか。ホミャーン言われた。ちぇ……。はいリリース」
「わ、ストレスだったのねぇ。めっちゃ走って……。あ、コケた」
「今見た!? 紐でコケたよピノコ!」
「あははは! 馬鹿ねぇピノコ! 紐でコケる猫初めてみた!」
「しかもさっき自分で置いた紐だからな……。あ、しかも髪の毛落ちてるよここ! ホラ!」
「ホントだ! コケた衝撃で肛門から髪の毛でた!」
「ウケる! ピノコ最高だなぁ……。可愛いなぁ……!」

何やら騒がしい声を挙げる人間たちを尻目に、キャットタワーに登る。幾本かの柱に扁平な部分がくっつき、上部には竈型の部屋がある。吾輩は気の赴くままそこで丸くなる事もあれば、最も高い部分にある物見櫓にて歩哨に立つこともある。吾輩くらいになると、この恐るべき高さにある櫓までひとっ跳びで登頂できる。人間族には決してできない芸当だ。

「じゃー、最後の仕上げだなぁ。はるちゃん仕事何時に終わりそう?」
「わたし19時くらいかなぁ……」
「オイラ一段落ついたぜ。終わったら何か食べにいく?」
「GOTOのポイントあるし、ロティサリーチキンいこうか?」
「悪くないね! よし、じゃあはるちゃん終わるまでボートやってよっと」

キャットタワーから人間たちを見下ろす。いつの間にか出来た家族ではあるが、狩りもできない人間が有事の際に役に立つとは思えないので、吾輩が守ってやらねばならない。気を張る。僅かな変化も見逃さない。見逃さない……。見逃さない……。

 

【11/20 唐津 BTSみやき開設11周年記念12R】 

「今日のレースは……。唐津……BTSみやき解説11周年記念。優勝戦だって。あ! 村松選手復帰してんじゃん! そっか、もう2ヶ月経ったかぁ」
「え、ホントに! じゃあわたしもやる!」
「はるちゃんは本当に村松選手が好きだなぁ……!」

奥方が立ち上がり、旦那の元に近寄る。二人してなにやら画面にむかいああでもないこうでもないと密談を交わしている。どうせまた悪巧みに違いない。吾輩の尻を拭こうとしてるのだろう。野生のカンが警鐘を鳴らしたが、なんせ吾輩は人間たちには決して手が届かぬ天空の塔、キャットタワーの頂上部にいる。このテリトリー内にいれば、如何に人間が吾輩に意地悪しようにも、手が出せない。なんせ吾輩の方が高い所にいるのだから。高い所にいるほうが圧倒的に立場が強いことくらい、物を知らぬ人間族の夫婦でも知っているだろう。

「よし、決めた。上野選手がイン側の利を生かして逃げ切りすると予想して、2着3着を235のフォーメーションで。ナカキン買いで行こう。3着の3と5はガミりそうなんで200円で!」
「わたしは……。じゃあ村松選手が上野選手をかわして2-1、2-3で500円2点!」
「強気だなぁ……」

【夫の予想】
1-235-235 6点 100円
1-2-35 2点 100円

【妻の予想】
2-13 2点 500点  

「よし、レースだ……! 始まるぞ! ファーッファッファーファララッファーン!」
「ひろしは本当にファンファーレが好きねぇ!」

何が楽しいのか、人間たちは今までよりも甲高い声でやいやい言いながら画面に向かって拳を振り上げたり天を仰いだりしている。全く、無警戒にも程がある。今、外的に襲われたらひとたまりもなかろう。やはり、この野生を知らぬ大きな生き物たちは、吾輩がしっかり見守ってやらねばならない。あっちから外的がきたらこう飛びかかって首筋を噛み切って、向こうからきたらこう駆け寄って足の健を引き裂いて……。

「よしよしよし、ビタッと決まった。1-2-5だな! 200円入れといてよかった……。
「圧倒的だったわね上野選手……。あー、やっぱ1だったかぁ! ちぇっ」
「へへ。400円プラスありがとうございます……!」

「いやー今のはイージーだったなぁ……」
「ルーキーシリーズで見てた選手はやっぱりわかりやすいねぇ」
「やっぱボートって知識量の勝負だなぁこれ。地道に選手の名前と特徴を覚えていかんと……」
「ンー、なんか悔しいなぁ。もう1レースどっか買う?」
「お。いいぜ。どこにしよう……。あれ、ピノコどこいった?」
「ピノコ寝てるよ」
「え、マジで。さっきまで暴れてたのに……こいつ3秒で寝るなぁ……」

「へへ。可愛いねぇ……」
「うん。可愛いなぁ……」

 

(挿絵:武尊)

著者プロフィール画像
あしの

浅草在住。猫とホラー映画とパチスロを愛する39歳。パチ7にて『インタビューウィズスロッター』連載中。『5スロで稼げるか?』(www.5suro.com/blog)の中の人。ボートレースはからっきし初学者ですが、自分自身で楽しみながらその面白さをお伝えしていきたいと思います。

人気記事

ボートのデザインについてまとめてみたら色々と面白かった件。

年間収支大公開! 今年の振り返りと来年の抱負を。

やとわれ編集長 岡井のボート事件簿 FILE11 厳格養成所脱走事件

めおと舟 その123『丸一日!全レース予想リターンズ(前編)』

「合成オッズ」を考えて舟券を組んでみよう。

荒れるレースの条件とは。 3カド戦に企画レース?